「終わりよければすべてよし」は日本の古くからの諺かと思っていたが、明治の中頃オランダ語を訳して日本に入ってきたらしい。
いろんな訳があったらしいが、「終わりよければすべてよし」として定着したのは昭和10年頃というから思った以上に新しい。
シェイクスピアの作品に「All’s Well That Ends Well」という戯曲があるそうだ。
そういうことであれば諺とは言えないことになるが、人生「終わりよければすべてよし」という言葉には納得するものがある。露骨な言い方だが、人生若い時に金があるより年取ってからあった方がいい。
しかしどうして昔からの日本人の言葉ではなかったのだろうか。諺好きな日本人であるから、この言葉が諺になっていてもいいと思う。
「有終の美」という言葉があるが、「有終の美を飾る」と表現される。
「有終の美」は “最後だけ立派ならいい” という意味ではなく、 “最後まで筋を通し締めくくりを美しくする” という意味になる。平たく言えば「始めたことは最後までやりなさい」と子供の頃親からよく叱られたことである。
ヨーロッパの合理主義社会から輸入された言葉ということもあるのか、「終わりよければすべてよし」には合理的とか打算といったものとの関連を感じるが、「有終の美」には日本人古来からの感性らしきものを感じる。
日本人は「終わり」よりも「過程」や「筋目」を重んじてきた、と言えるかもしれない。 日本では何事も道になる。武士道、剣道、茶道、芸道etc。
日本人は「終わり」よりも「道すがら」を見てきた民族だった。
歌舞伎などを見ていると少しも面白くない。物語の内容より、途中の所作や演者の心の動きを理解しないと良さがわからないらしい。
茶道に至っては、早いとこお茶を出せばいいと思うが、「一挙手一投足」の美しさを大事にするのが茶道だそうだ。
「有終の美」は終わりの美ではなく、終わるまでの過程を終わりで壊さないこと、という意味になる。
我が人生も終わりに近い。「終わりよければすべてよし」という人生か、「有終の美」を飾る人生か。
有終の美は飾れそうもない。優秀な過程を経た人生ではなかったから飾ろうにも飾れない。
「終わりよければ全てよし」。便利で有難い言葉である。
どんな人生でも終わり近くになれば「良かった」と思うことのひとつやふたつくらいはある。
有終の美など飾ることはない。「終わりよければ全てよし」でいいのだ。


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