今朝の新聞で小林信彦氏が亡くなったことを知る。多くのことを知っている人ではないが、最近何人もの著名人が亡くなっている中で、私にとってはちょっとショックの大きい訃報である。
小林氏の著作は「日本の喜劇人」しか読んだことがないが、この単なる芸能評論本と思われる本の内容に、なにかこだわりの日本人論を感じた記憶がある。薄っぺらな評論本ではなかった。93歳。心からご冥福をお祈りする。
あらためて小林さんを知ろうとネットで記事を拾うと。「芸人のうまい下手をくどくどと説明するのは野暮」とか、「安易な『下町ブーム』に乗って浅草や柴又を江戸の下町と呼ぶことに嫌悪感を感じる」とかある。
そんな話を読んで、「そうだなあ、人生にはこだわりが必要だなあ」と思う。その記事の下に小林氏は最初のオタクだったという説明があった。
最近、粋とか野暮という言葉を聞かなくなったが、野暮というのはまだ残っているような気がする。お笑い芸人がメインキャスターをやるのは野暮ではないか。
野暮の対義語は粋。この言葉と対になると野暮という言葉の意味がはっきりする。
粋ということであれば着物の裏地の話が定番である。江戸時代、高価な着物を身につけ、それを周囲に見せることは粋とはされなかった。表地は地味に裏地にこだわる。それを粋とした。
派手さではなく、見えない部分に贅を凝らす。江戸の人々はそこに美しさを感じたということになっている。
しかし、それで満足であるならそれでいいが、粋は誰かにそれを知ってもらわなければ成り立たないものではないか。
粋と言うのは結構タチの悪いことではないだろうか。「分かる人には分かる。分からない人は野暮」。分かる人にはそれとなく自慢し、判らない人はバカにする。
江戸っ子の粋というものは謙虚なものではない。言い方を変えた自慢話である。
中学の3年生の時、数学のテストの答案を授業の時に何かの事情で受け取れなかった同級生と教員室で一緒になって、彼の点数を見てしまった。
彼は父親が歯科医で、自分もそうなりたいからいい高校に進学して歯科大に入るんだと公言していた。
彼が受け取った答案の点数がかなり低いので思わず「何点じゃないか」と笑ってしまった。
するとそばにいた先生が「じゃあ君は何点だったんだ」と責めるように聞くので、彼の点数より低い点数を言った。先生は「なあんだ」という顔をして、人の点数を笑うものではないというような顔をして私を睨んだ。
それから以後、その先生はとてもいい感じで私に何かと声をかけるようになった。一緒にオーケストラの演奏会にも行ったことがある。
私の点数は百点に近い数字だった。これを粋と言うのだと思う。


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