「人生には意味がない。だから楽しめばいい」
「人間が自分で意味を与えない限り、人生には意味がない」
「人生には意味がないから創作によって自分が生きた証しを残したい」
これらの言葉はいずれも人生について考えていた時、このブログに引用したもの。名のある学者や人生の成功者と言われる人の言葉である。
生きる意味とは何か、人生とはなんなのかと考えると、いつもこのような言葉と相対することになる。
だが人生とは何かということを考えているのである。答えがあるならば直接的な考えを知りたいのだが、「人生には意味がない」という答も別に違和感を感じることはない。
なぜなのだろうか。人生には意味がないことに気づきながら、人生とは何かを考えようとしているからか。
人は人生には意味がないということに気づきながら、虚無的ではなく前向きに生きていくものだというこのような言葉に、ひとつの正解を得たような気になる。人生はとにかく生きるしかないからだ。
だがやはり「人生とは何か」を問いたい。人生には最初から人生そのものに「意味がある」と思いたいのである。そうでなければ生まれてきたことがあまりにも虚しい。
自分で後から作り上げた意味ではなく、自分で「これは楽しかった」と言い聞かせるための意味でもなく、この世に生まれたことそのものに意味があってほしいのだ。
「人生楽しんだ者の勝ち」という価値観には分かるものがあるが、それが人生とは思いたくない。
人生に快楽は必要だが。それが人生だとするなら動物的である。
この歳になって人生を考えると、人生とは何かという問いは、人生に何か意味があったか、という問いになる。
若い頃の生きる意味は将来に向かってのもの。しかし高齢となっては生きてきた道だ
もはや生きる意味を考える必要のない身であることに気がつかなった。このブログを書き終える頃になって気がついた。
「お前の生きてきた道に何か意味はあったのか」
生きることの意味を考えてきたが、今、生きてきたことの意味を自分に問われている。
生きる意味など考えなければよかったのだ。


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