昨日は「沖縄慰霊の日」であった。なんと言えばいいのか、私はそういう日があることを今まで知らなかった。
毎年、新聞やテレビなどで報じられていたはずであるから、目にしても気に留めなかったということかもしれない。
あの戦争の末期、沖縄の人々がどのような状況に置かれていたのか、私はほとんど知らない。
上陸した数十万のアメリカ軍の前に日本軍は軍の体をなさず、司令官は自害し、20万人の人達が殺され、学徒動員の女学生が洞穴の中で火炎放射器によって焼き殺された話は知っている。幼い子供を抱えた母親が次々と崖から飛び降りる姿も、アメリカのニュース映像で見ているが、沖縄の戦争を知っているわけではない。
悲惨と一言では言ってはいけないような苛酷な状況であったらしい。
玉城知事は平和宣言で、自衛隊の兵力増強に関して「(沖縄戦で)無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのか」と疑問を呈した。
さらにウクライナ侵攻などに関して、「抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている」として、外交や対話の必要性を求めた。
追悼式には岸田文雄首相も参列し、「今もなお、沖縄の皆様には米軍基地の集中などによる大きな負担を担っていただいている。重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くす」と述べた。南西諸島での自衛隊配備や辺野古移設計画には直接触れなかった。
「重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くす」何もしないということである。
沖縄線は本土決戦の時間稼ぎのようなものであった、という説がある。
そのために沖縄に派兵した軍隊だけではなく、住民にも強い抵抗を求めたのかもしれない。沖縄出身の軍人・軍属と合わせて、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。武力を持たない一般市民が殺されている。
あの当時日本政府は、沖縄の人々を本当に日本人と思っていたのだろうか。
平和の尊さを、沖縄の人々の犠牲をもって語ることは許されないことだと思う。
16日に行われた県会議員の選挙で、玉城知事を支持する与党は半数を割ってしまった。どういうことなのだろうか。(了)
コメント
8.15の終戦記念日(敗戦)は知っていても
沖縄慰霊の日があること、
知りませんでした。
ひめゆり部隊のことは知っていましたが
戦争末期、沖縄の人々の過酷な状況は
本土の犠牲かにも見えます。
玉城知事、私には中国の傀儡にしか
見えません。
中国のサイレント・インベージョンは
他国への国家戦略。
戦後の自虐史観から抜け出せない日本人の
弱腰、外交下手、世界へのATM?まがいの
海外へのバラマキ。
ハニトラ、マネトラにどれ程の
政治家が掛かってしまっているのか?
三年程前までは政治には全く無関心、
無知のお花畑でした。
でも今の日本、情報弱者(情弱)では
いられなくなりました。