「コマーシャルだらけ」、「お笑い芸人のバカ騒ぎ」と、テレビについて書くと批判ばかりになる。
それならテレビを見なけりゃいいじゃないか、という横やりがある。
世の中には警察官の真似事をしたがる高齢者が多い。一方通行を間違って侵入して呼び止められ、「待ってろ、いま警察を呼ぶから」と、嬉々として正義面をする年寄りを何人も見かけたことがある。
こういう年寄りは、つまらない会社で上役の言いなりになって生きてきた人間なのだ。いびつな人格のまま高齢になってもリセットができていない。
話を戻すが、見なけりゃいいテレビを私が見るはずがない。しかしテレビは見なければならないものもある。
見なければならないものにチャンネルを合わせるスキに、見るに堪えないコマーシャルだのお笑い芸人のバカ騒ぎが目に入ってしまうのだ。
そのわずかな時間にテレビのバカらしさを感じてしまうのだから、毒気が強いのだろう。
民放がコマーシャルで成り立つことが、いろいろ問題を起こす根源である。本来放送というものは公共のもの。それを商売として扱うのだから、いい方向に向かうはずはない。
ここ何年かの間に松本人志や中居正広、古くはタケシなどが、性加害とか愛人問題で事件を起こしている。これらは個人の問題ではあるが、その問題の出発点にはテレビ局の存在がある。
彼らをあれほどの増上慢に仕立てたのは他でもないテレビ局である。
こんな前書きのようなことはやめてスポットな文章でブログを書きたいと思っているが、そうすると自分で何を書いたのか分からなくなる。俳句や短歌などの場合そんなことがあるのではないか。
やす子というお笑い芸人のことが少し気になる。この人もチャンネルを変えるスキにちょっと見かけるだけである。
この芸人さんはどういうキャラクターで出演しているのか。あるいはこの芸人にどんなキャラクターを持たせようとして芸能プロダクションが採用したのか。その辺が不思議である。
やす子さんは芸人として初めて見かけるタイプの人だった。でもこの人、他の成功した女性タレントのようにうまく立ち回れるの人だろうかと気にしていた。
何年か前、「愛は地球を救う」とかいう番組で悪天候の中、長距離を走り切ったことが話題になって、これでメジャーになったかと思ったが、その後そうでもないらしい。
最近漫才芸人などを見ていると、どうしてもお笑いをやる人のようには見えない人が多い。ハッキリ言えば元ヤンだったのではないかと思える人が何人もいる。
わずか数秒しか彼らを見ていないが、年寄りには判るのだ。だが本当に元ヤンが何人もいるそうだ。
だが疑問が生じる。元ヤンがなぜお笑い芸人に。これが解せない。
「不良の世界は『言葉の瞬発力』『場の空気を読む力』が鍛えられる環境なのです。先輩後輩の関係を笑いで処理するといった、即興的なコミュニケーション芸が多くあります」
まさかと思ったが、元ヤンのお笑い進出を述べた記事があった。ヤンキーの世界はお笑い芸人の供給元。
まともな人間には何の面白みもないということか。



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