懐かしのドン・ガバチョ

つぶやき

 「真綿色した シクラメンほど 清しいものはない」はいい歌であった。

 小椋佳さんは楽器が弾けないということだが、楽譜も書けないという話もある。そんなことはないと思うが、思いついた曲想をそのままテープに吹き込むという作曲方法がいいのかもしれない。

 楽器を弾きながらこっちがいいか、元の方がいいかと考え込んだメロディではない。どこか長唄を思わせるようなところがある。

 小椋さんの歌のことではなく真綿のことだが、どうも高齢となっての生活は、真綿で首を絞められているように思えてしょうがない。

 真綿で首を絞められた経験はないから、この例えは適切ではないことは承知している。

 だが、「真綿で首を絞める」を調べてみると、「真綿はやんわりと肌触りはいいが手で引きちぎることが困難なほど強靭で、最初は締められていることに気づかず、力を加えれば細い繊維がじわじわと食い込み、逃れられなくなる」と用語辞典にある。

 まるっきり高齢者の生活を表しているのはないか。

 行く先はハッキリしているが、日程も段取りもまだ何も決まっていない旅行のようなもので、どうも毎日がばくぜんと過ぎていくだけで心許ない。

 いつものように話は変わる。ネットには昔活躍した俳優やタレントの、「驚きの生涯」などと称する記事がいつもあるが、中には死んでいない人まで死んだとする記事も多い。

 毎日何らかの記事を大量に掲載しなけばならないから、読者の目をひくものであればなんでもいいという事になるのだろう。

 戦後カストリ雑誌と呼ばれた俗悪雑誌があったが、それに近いのではないだろうか。もちろんその時代に見たことはない。

 藤村有弘さんが1982年に48歳で亡くなっていたことを知ったが、このネット記事はまともなものだった。

 死因は糖尿病性昏睡という初めて聞く病名。糖尿病そのもので亡くなることはほとんどないと言われているが、糖尿病性昏睡は糖尿病そのものが死因という学者もいるらしい。

 ファンということではないが、ひょっこりひょうたん島のドン・ガパチョは傑作だった。特異なキャラクターをもつ芸人さんだったと思うが、48歳とは若い。

 自らゲイであることを公言していたらしい。あの時代の社会には、同性愛者に対する強い偏見があった。

 友人だったという大橋巨泉は葬儀のスピーチで、「彼はゲイであることを隠さなかった。立派な同性愛者として送ってやりたい」と述べた、とウィキペディアにあった。

 48歳といえば私が人生最後の選択をした歳。この選択によって曲がりなりにもこの歳まで人並の生活がおくれるようになった。

 48歳を終わりとする人生もあり、やり直しの始まりとする人生もある。

 48歳で人生を失った人のことを思えば、高齢とは有り難いものと思わなければいけないのかもしれない。

 今日は子供の日。これから長い人生を送る人がいるという事を知る日でもある。

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