自暴自棄ということではなく、物事を「どうでもいいこと」とか「どうにでもなること」と思って生きていけば、気楽に過ごすことができる。
このところパソコンの不具合だの歯の治療だのと、いろいろ気になることが多い。自分の知識で解決できないことは、結構気持ちの負担となってイライラする。
考えてみれば、みんな「どうでもいいこと」「どうにでもなること」ばかり。社会から離れた高齢者に、どうにかしなけりゃならない、というようなことは何もない。
時間をたぐり寄せず、時間の流れに自らをまかせる、という心持が必要と思う。しかし生来のせっかち。分っちゃいるが、それを実践するのはなかなか難しい。
35、6歳の頃、いわゆる町場の不動産屋というところで何年か働いたことがある。自分で開業するための勉強のつもりであった。
部屋数が5部屋以上ある家が欲しいというお客さんが、銀行の外回りの人から紹介された。
なかなか5部屋以上となると売り物件がない。たまたま西荻窪に、ある信託銀行の不動産部が扱っている物件で、それらしい家があった。
売主の人は当時50歳くらいの人で、コンサルティング会社を経営していたようだが、仕事に失敗したのか、その家を手放すことになったらしい。奥さんの思いつめたような顔が記憶にある。
買主は家を見て気に入ったようで、話を進めてくれ、ということになった。
私は取引に際して、自分の性格というか、やり方として、売主・買主から要求されるであろう取引の条件というものを予め予想する。
なるべくスムーズに事を運ぼうということから、取引のネックになるようなことは事前にできるだけ解決しておくのである。
この取引でも売主側の信託銀行の担当者と細かな部分まで詰めておいた。
買主と契約締結の打ち合わせをする中で買主からこんな話があった。
「こちらの要望を先方に掛け合いもしないで、それはできない、あれもできないと言われては納得できない」
「嘘でもいいから、ではこれから先方に行って掛け合って参りますくらいのことがあってもいいのではないか」と言われてしまった。
行ったふりをして喫茶店で時間をつぶし、「交渉してきましてがダメでした」でもいいと言うのだ。
人生、自分のやり方に納得できる批判をいただいたのはこれが初めてであった。
人は納得しなければ行動しないものである。これ以後、不動産取引に第三者として立ち会う仕事に就いたが、この話はまとまっていないな、と感じる取引に何度か出会ったことがある。
業者は説得したつもりになっている。しかし当事者は納得していない。
人生先まわりは大事だが、高齢になったら人に先まわりを感じさせない茫洋が必要である。
私にはまだこの茫洋が身についていないらしく、先まわりを若い人に指摘されることがある。まだ本物の高齢者になっていないということか、まだ「お若い」ということか。


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