「我々は、悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」
日本会議綱領の第1項である。
「悠久の歴史に育まれた伝統と文化」という言い回しは、いかにも重厚そうに聞こえるのに、実際にはとても曖昧で、聞く側の想像に委ねる余地が大きい。
「悠久の歴史」。この語は、縄文から現代までの長い時間を一つの連続した物語として扱うニュアンスを持っている。しかし、実際の日本史は断絶と変化の連続で、宗教も政治制度も家族形態も価値観も、時代によって変化を繰り返した。
それでもこの言葉を使うと、あたかも「変わらない本質」があるかのように聞こえる。
「伝統と文化」。これもまた曖昧で、以下のようなものがしばしば含意される。
・神道儀礼や皇室祭祀
・家族観(家制度的な価値観)
・地域共同体の慣習
・武士道や勤勉、和の精神といった近代以降に再構成されたイメージ
・明治国家が「国体」として整理した文化要素
ただし、これらは「古代から続く純粋な伝統」というより、近代に再編集された「伝統像」であることが多い。
たとえば「武士道」は江戸時代に統一的な体系があったわけではなく、明治以降に国民道徳として再構築された側面が強い。
「家族観」も戦後に大きく変わり、戦前の家制度を「伝統」と呼ぶかどうかは立場によって異なる。
日本会議の文脈では、次のような価値観が中心に置かれる傾向がある。
・皇室を中心とする国家観
・神道を基調とした宗教的・精神的価値
・家族を社会の基礎とする保守的家族観
・戦前の教育勅語的な道徳観
・国民統合の象徴としての「和」や「共同体」
つまり「悠久の歴史に育まれた伝統と文化」とは、歴史学的に検証された具体的な文化要素というより、近代以降に形成された“日本らしさ”のイメージを、古代からの連続性として語る表現、と言ったほうが実態に近い。
以上の文面は私の考えではなく、「日本会議の綱領第1項にはどういう意味があるのか」とコパイロットに尋ねた回答である。
安倍さんや高市さんが主張する強い日本、道徳観、愛国心、教育勅語、家族観、国旗国歌、公共の優先。そういったものによって日本は戦争を行い、そして日本は壊滅したのではなかったか。
「歴史が示した危険性を無視して、なぜ同じ物語をもう一度持ち出すのか」
これもコパイロットの答えである


コメント