「惚れて」を高い音域で歌ったのは哀愁列車

つぶやき

 きのうは家内が1年に1回受ける定期検診の受診日。お茶の水の大学病院から3時過ぎに「変化なし」のメール。

 1年に1回、半年に1回、3ヵ月に1回、1か月に1回、毎週1回と、夫婦そろって医者通い。そのうち毎日1年に1回。

 お互い「変化なし」のメールを受けとることが大事なことになってしまった。人生変化があることが成長であった。
 
 3,4日前から、寝室を8畳間の和室から6畳の和室にかえた。
 広い明るい部屋ではなく、狭い部屋で穴倉のように過ごしたくなった。

 雨戸を閉めれば隣家の人も私がいつまでも起きていることが判らない。
 老後は自分の隠家を持った方がいいという話がある。そんな感じで20年ぶりに寝室をかえた。

 おとといの深夜、その部屋で三橋美智也の特集を聞く。私が9歳から11歳くらいまでに流行った歌。住んでいた東京下町の風景が思い浮かぶ。

 三橋さんを当時聞いた世代は、団塊の世代が最後になるのかもしれない。
 子供の頃、「おんな船頭唄」や「哀愁列車」を歌ってよく叔母に叱られた。確かに子供が歌うような歌ではない。

 あの頃の歌手は全盛期は大変な人気者になるが、それを過ぎると一気に白々しくなる。本人がそうしているわけではなく、見る者がそう見てしまう。

 今朝、布団の中で、スリーファンキーズの長沢純さんの死亡を知る。84歳。脳溢血。写真が載っていたが、まるっきり別人。

 スリーファンキーズはよく覚えているのである。私が10歳くらいだったと思うが、もちろんファンとかということではない。どちらかというと話題にしたくない芸能人。

 だがなんか知らんが記憶にしっかりある。言い方が悪いが、ちゃっちいグループだったような気がする。こういうグループの出始めということだったのか。人気はあったようだが、まともに歌を歌っているようには見えなかった。

 まともに歌えない男性アイドルコーラスグループのはしりのような気がする。

 長沢純さんは三益愛子の娘さんと結婚したはず。何かメチャクチャであったような記憶がある。申し訳ないがスリーファンキーズはなんでもかんでもメチャクチャであった気がする。

 芸能界というところは、人気が出て、男女関係ができて、その破綻があって、莫大な借金などがあって、「あの人は今」ということになって、忘れ去られて、ある日訃報、という世界のようである。

 我々平凡な人間には判りようもない世界なのだなと思う。

 寒波の襲来。今晩も地震のこないことを祈りつつ、隠家へ。

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