「もっと夢を追いかければよかった」「やりたいことをやればよかった」というのが、人生の後悔ランキングの1位だった。そうだろうなとは思うが、同感とはちょっと違う。
「追いかければよかった夢」とか「自分がやりたいこと」というのは、そんなに確固としたものではなかったはずだと思うし、本当にやりたければやればよかったのである。
同感できないのは、私には追いかける夢など持ちようがなかったからである。母子家庭。自分のことだけ考えるわけにはいかなかった、と言えばお利口さんのようだが、夢を持てるような能力が無かった。
だが自分の人生が、食べるためだけのものであったと思うと、他に何かやりたかったことのある人生であって欲しかった、という思いはある。
「食べるための人生。食べるために働いてきた人生」。この言葉が、人生の終末を迎えて喉に骨が刺さったように自分に問いかける。つまらない人生を送ってしまった、と。
こんなことをコパイロットに聞いたら面倒なことになるが、実は聞いてしまったのだ。
「人はまず生きなければなりません。衣食住を整え、家族を守り、自分の生活を支える。生きるための基礎を自分の手で築いてきたということで、そこには確かな価値があります。食べるために働くことが無意味ということはありません。利兵衛さんは立派に食べてきたから虚しさを感じるのです」
分かった、分かった、アンタの言うことはよく分かる。食べるために働いてきた人生に価値がないと言っているわけではなぃ。
人が生きているのだから価値があるのは当然のこと。しかし「食べるために働く人生」にどうして虚しさがつきまとうのか、ということを言っているのだ。
「では、食べてこられた人生だから虚しさを感じる。食べてこられない人生だったら虚しさは感じない、ということでしょうか」という切り口はコパイロットは持っていない。
自問自答することになる。食べてこられたから虚しさを感じる。それも、創造性もなにもない、お役所の下働きのような仕事によって人生を支えてきたことに情けなさと虚しさがある。
やりたければやればよかった。やりたくなければやらなけばよかった。人生結局自分のせいである。



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