12月は忠臣蔵の季節。ネットに「南部坂雪の別れ」があった。
内蔵助は里見浩太朗、瑶泉院は多岐川裕美、戸田局は野川由美子という配役のテレビドラマだったが、これは1985年に作られたもの。
さすがにここ何年かは、映画でもテレビでも松の廊下から討ち入り、泉岳寺への引き上げといった全編を描いた作品は作られていないようだ。2004年に松平健さんが内蔵助をやったのがどうも最後らしい。
「最後の忠臣蔵」というのがあったが、これはいつも47人目に数えられる寺坂吉右衛門をとりあげた作品。ひとり生き残ることになり、生涯浪士の墓守をしたという話もあるし、逃亡したという話もある人物である。
いろんな大スターが内蔵助を演じているが、私の世代からすると内蔵助はなんと言っても長谷川一夫。ビートたけしが内蔵助を演じたものがあるらしいが、まともなドラマになるはずがない。
日本人は復讐劇とか仇討ものが好きであるが、日本人に限ったことではなく、シェイクスピアもハムレットを書いているし、デュマにはモンテクリスト伯がある。世界中人間がいるところはどこでも復讐はある。
子供の頃、母親と曽我兄弟の映画を見たことがある。なんで仇討映画などを見に行ったのだろうかと思うが、曽我兄弟の仇討話というのはとても大切なことなのだと母が言ったような記憶がある。母にも仇をとりたい人がいたのかもしれない。
私は見なかったが、「半沢直樹」というテレビドラマが大変な人気で、社会現象にまでなったことがあった。平成史上最高の視聴率と言われる。
このドラマも復讐の話のようである。香川照之という役者が土下座するシーンをワイドショーで見たが、この土下座は半沢直樹にとって親の仇をとったことになるドラマ中最高のシーンであったらしい。
復讐は「スカッとした」「痛快だった」という声になる。視聴者からは日常の理不尽を代わりに晴らしてくれる存在として支持されたようだ。
人生とは仕返しである、と言っては差し障りがあるかもしれないが、人生には仕返しをしたくなる不愉快な人間が多く登場する。私にも4,5人仕返ししたい人間がいる。
入学時、アルファベットも書けなかった夜間高校の同級生のことについて何度かこのブログに書いたことがあるが、彼と親しかったわけではない。
私は根性とかなんとか魂というのが好きではないので、なんとなくそういったことを感じさせる彼とは常に離れていて、ほとんど話をしたこともなかった。
彼が早稲田に合格した時、私が働く印刷工場まで訪ねてきて、早稲田に入ったことを言いに来た。
なぜ彼がわざわざ親しくもなかった私を訪ねて来たのか。当然自慢をするためであるが、「かたき討ち」ということでもあったような気がする。
親しくはなかったが、かたきをとられるような記憶はない。しかし、雪の越後を後にして艱難辛苦の末夜間高校に入り、人一倍の努力をして有名大学を目指し、将来は政治家に、という立身出世的な生き方が私は嫌いであった。
彼はそれを感じていたのだろう。俺は早稲田に入った。お前はまだ印刷職工。これは見返しということだろうが、彼にとってはかたき討ちであった。こういうかたき討ちもある。
人生知らぬ間にかたきになっていることもある。生き甲斐の中にはかたき討ちも入る。人生とは…そういうことになる。



コメント