1か月ほど前のことだが、新聞に演奏会におけるブラボーの話があった。
名古屋のオーケストラが、「演奏会での聴衆の早すぎるブラボーは私どもにとってうれしいものではございません。完璧な静寂の方が、はるかにうれしいです」ということを公式Xに投稿したことから話題になっているらしい。
曲はブルックナーの八番。こう言ってはブルックナーさんに失礼だが、難聴が進んだ我が耳にはもはや、「なんでこんなにしつこく長ったらしくうるさいんだ」ということしかない。しかしチェリビダッケだったと思うが素晴らしい8番があった。
この終楽章、聴衆は曲の終わりを待たずブラボーと叫んだのか。この曲は静寂の中に終わる曲ではない。ファンファーレのように終わる。どこでブラボーと言ったのか。
クラシック演奏会における拍手、ブラボーのタイミングに決まりがあるわけではない。しかし慣例として曲が終わると同時に間髪をおかず拍手することになっている。
演奏会において最初に拍手をすることは、この曲を知っている、ということを意味する行為であった。「あった」と言うのは、クラシック音楽は日本においては娯楽ではなく教養として輸入したからである。
演奏会は会話は当然のこと、咳払いひとつも許されない緊張を強いられる空間であり、聴衆は身じろぎもせず正座のように椅子に座って聴く。
ひところ、日本の聴衆はあまり感情を表に出さないので演奏してもやりがいがないという話があった。外国の演奏者の話だったと思う。
そういわれても日本人の習慣から、酒の席でもないところで大騒ぎするわけにはいかない。今でこそスタンディングオーベーションや聴衆が舞台近く寄ることは珍しくないが、以前はおとなしかった
熱狂的ということを私が初めて見たのはベームとウィーンフィルの演奏会。
すでに全盛期を過ぎ、ウィーンやベルリンの音楽界では忘れ去られていたベームに、日本の若い聴衆が熱狂した。
演奏が終わり拍手は鳴りやまず、聴衆は舞台袖に集まり「ベーム、ベーム」の連呼。女性人気アイドル歌手でもないのにこの熱狂。驚いたものである。若者はベームに「音楽の本物」を見たようだった。
楽団員はすでに退場し、ベーム一人がなんども舞台に呼ばれる。実に嬉しそうな顔をしていた。こんな東洋のはじっこの国の若者の熱狂。後年ベームはその心境を語っていた。実に懐かしい。
娘が学生時代オケに入っていて、発表会には欠かさず行ったが、いつもイの一番に「ブラボー」と叫んでいた。ブラボーパパとして団員の中でも有名であったらしい
演奏に感動して叫んだわけではない。娘たちのオケの発表会。景気づけでもしてあげようという気持ちからである。こういうブラボーもある。
確かに早い拍手やブラボーはいいものではない。じっくり味わって感動を胸にしまってリスニングルームを出る、というのがいい。
最近音楽会に行くことはないが、パンフレットにこの曲は拍手しないでくださいとか、ブラボーはやめてください、という表示をしてもいいのではないだろうか。
何千人入るホールでの感動の共有ではなく、ひとりの感動を大事にする時代のはずである。



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