夜明け前と新聞配達

つぶやき

 この頃は5時半過ぎても障子が明るくならない。この時期、関東地方の日の出は6時20分前後。千葉県と群馬県では6分の差がある。

 日の出前にうっすらと明るくなるがそれを「薄明(はくめい)」と呼ぶらしい。薄明りを音読みしただけのことである。文学的には「夜明け前」「暁」「黎明」などと言う。

 日没後でもまだ明るさが残る。それも薄明と言うらしいが、「黄昏」「宵」「夕映え」「残照」などという言い方はなんとなく人生を思う。英語ではトワイライト、日の出前の明るさはなんと言うのか。

 人生の黄昏時などと考え始めたらまた暗い話になってしまうからやめておく。黄昏時は子供の頃、暗くなるまで真っ黒になって遊んでいた下町の原っぱの思い出だけにしておこう。

 5時半過ぎには起きようと思っているが、夏とは違い枕元の電気スタンドを消せば真っ暗になってしまう。部屋の電気を点けるのもこうこうとして明るすぎる。朝は薄明かりの中で起きるのがいい。

 12月21日が冬至らしい。冬に至るが、陽はその日を境に伸びてくる。
 中学生の頃新聞配達をしていたが、明け方が早いのと夕方がいつまでも明るいのはうれしかった。

 私が受け持った地域は寺町と呼ばれお寺の多い町だった。当然墓が多い。これを暗くなって見るのは怖かった。

 あの頃新聞配達のアルバイト代は2,000円くらい。中卒で印刷会社で働き始めたときの給料は7,000円。四畳半一間のアパート代が4,000円くらいだった。

 新聞配達は中学1年の夏のころから2年の暮れ頃までやっていたが、私は不着することがなく、新聞販売店のオヤジさんからよく褒められた。

 新聞配達の思い出は特にないが、あるアパートに引っ越ししてきた50歳を過ぎたような夫婦から新聞購読の申し込みを受けたことがある。

 それを販売店のオヤジさんに報告するとたしか50円くれたと思う。新聞拡張ということである。

 それからその夫婦からよく声をかけられて、お菓子などを何度ももらったことがある。私が早くして亡くなった息子さんに似ているというのである。

 インテリっぽい、立派そうなご主人だったが、なんであの歳で安アパートに越してきたのだろうかと思い出すことがある。

 あの頃「黄色いサクランボ」という歌がはやっていた。電気屋の前を通るといつもこの歌が流れていた。

 思春期だったが、お色気とか、ため息とか、つまらない歌だなと思いながら、いつも電気屋の前を駆け抜けていた。
 
 あの頃新聞配達は、タスキに新聞を束ねて走って配達するものだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました