きのうの空は生れて初めて見るような、本当に雲ひとつない群青の空であった。航空公園のイチョウはその空に映えて秋の陽に輝いていた。
きょうはきのうと変わって少しうすら寒い。久しぶりに立川のララポートへパスタを食べに向かう。ここはウィークデーでもいつも満員である。
帰りの車の中で、おととい脳梗塞を発症した人の息子さん夫婦の話を家内から聞く。その話から少し考えることがあった。
夕食を終え、毎夜の酩酊タイム。昼間聞いた家内の友人の話から、母と雛人形のことを思い出す。
娘の初節句のとき、金もないのに母が雛人形を贈ってくれた。女の孫が生まれたから雛人形を贈らなければ、と考えていたようだった。
久月とか吉徳大光とかいう有名な人形店のものではないが、七段飾りの内裏雛から三人官女、五人囃子、随身、仕丁、道具類まで揃ったなかなか豪華な品物であった。
そのお雛様を家内が気に入らなかったということではなく、母の心づくしに感謝したが、家内にすれば娘を持った女性として、雛人形には思い入れがあったらしい。
七段飾りにこだわるのではなく、内裏雛だけでもいいから、人形の顔とか衣装とか、自分の好みに合ったものを、娘の一生のお雛様としたかったらしい。
母は私にも家内にも相談することなくお雛様を買ってしまった。それも「なんでもいいから買っちまって、お雛様があればいいんだろ」ということなのだ。
悪気でもなんでもない。母は人形に上等とか、こだわりとか好みとかあるなどということが理解できる人ではない。「買っちまえばいいんだ」ということしかない人である。
今となってはつらい思い出であるが、その時私は母を怒った。「こんな安物を買って、形だけあればいいというものではない」と。その時の母の顔を覚えているのである。
家内の友人はお嫁さんとうまくいかないらしい。既に80歳を過ぎている人だから、うまくいかないというのも最近のことではなく、ずいぶん昔からのことらしい。
うまくいかないことの原因がこのことにあるのかは分からないが、息子さん夫婦が友人の家近くに家を買って住み始めてから、友人は息子夫婦が留守の時鍵を開けて家に入り、冷蔵庫においしい食べ物を置いていったらしい。
そのことを息子さんが怒った。息子さんが怒る理由も判らぬわけではないが、そんなこともあってか、お嫁さんと友人は「うまくいかない」関係になったようだ。
家内からこの話を聞いて私は考えてしまった。「母と同じではないか」
息子夫婦が留守の時、家の鍵を開けて冷蔵庫においしい食べ物を届けてあげる。これを「絶対やってはいけないこと」と思うか、「子供を思ってのことだから」と思うか。
家内は「あの人は古い人なのよねー」と言う。
酔った頭では「どうなのかな」と思うばかり。人生いろいろこだわったところで、最後は紙パンツの便利さに感激するだけのこと。
母からもらったお雛様はまだ我が家にある。大事にしなければと思うが、このところ何年もお顔を見たことがない。



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