女房の評価

つぶやき

 購読している新聞の投書欄の下に「悼む」という表題のコラムがある。著名人や関係者が故人を偲んで寄稿する文章で構成されている。

 今年9月に、元衆議院議員だった石川知裕という人が亡くなったそうだが、この人の番記者だったという新聞記者が追悼文を寄せている。

 名前も知らない元衆議院議員に関する追悼文が気になったのは、その見出しに「53歳、直腸がん」とあったからである。

 若くして直腸がんで亡くなるとはどういう経緯だったのだろうかと、いつものようにウィキぺディアを見てみると、亡くなる1年ほど前にがんが告知され、手術の効果もなく、この若さで亡くなっている。

 写真を見ると知った顔であった。小沢一郎の秘書を10年近く務め、「陸山会事件」では会計責任者として有罪判決を受けている。その時の新聞やテレビの報道で顔を見たのかもしれない。

 「悪党 小沢一郎に仕えて」という本を出している。
 小沢一郎は背広を着たゴロツキである、という話は聞いたことがあるが、悪党だったとは知らなかった。しかし同じようなものである。

 若くして直腸がんで死んだということから、同じように50代で亡くなった音楽家のことを書こうと思っていたが、小沢という名を聞くとどうもペン先はあらぬ方に向かってしまう。

 小沢氏は83歳になる。相変わらず持論を発信しているが、しかしその影響力はすでに陰りを見せている、というより陰りばかりである。

 この人は結局どういう人だったのだろうか、という関心をこの人に持つ。いい政治家であったということからではない。この人に関する印象を強く持ったのは「小沢面接」のときである。

 1991年の自民党総裁選において、最大派閥・経世会の実力者だった小沢一郎が、総裁候補3人を自らの事務所に呼んで面談したことである。これは面談ではなく面接であった。

 総裁選には宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の3人が立候補していたが、宮沢喜一氏が小沢の前でかしずくようにしていた姿が思い出される。

 総裁候補を呼びつけて面接するような権力の絶頂期にいた小沢が、その後自民党を離党する。自民党による一党独裁政治を改革するため、ということになっているが、この辺のことがよく判らない。

 自民党政治から野党に政権が移って、その最大功労者である小沢氏が新政権で何をやっていたのか、その辺のこともよく判らない。トップにいるはずの人間がトップになると必ずそこにいない。

 小沢一郎を語る人がいた。
 「国難の中で放射能が怖いと逃げた」
 「国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じている」
 「岩手や日本のためになる人間ではない」

 長年連れ添った妻の言葉とされている。真贋が問われたが、妻から三下り半をたたきつけているのだから本人の言葉ではないか。

 人間の評価。いろんな角度からの評価があるが、女房から「こいつはダメ」というのは本当の評価ではないか。ごまかしようがない。

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