懐かしさとの別れ

つぶやき

 昨日は懐かしい人2人と、懐かしい人の奥さんと、電話やメールで連絡を取ることができた。

 夜間高校の同級生の女性からは、「毎日、毎日よくつづきますね」とお褒めのメール(?)をいただいた。

 代書屋利兵衛を知っている人は家族の他にこの女性しかいない。以前「我が青春の夜間高校」と題するブログを書いた時、懐かしさのあまりブログのことを伝えた。

 以来読んでくれているらしい。こう言っては読んでくれている人に失礼だが、何度もこのブログに書いているように、私のブログは朝食前の時間つぶし。それに品のない話だが、お通じのためということもある。椅子に座っているともよおすのである

 そんなことからの駄文である。中身のないものであるからいくらでも書くことができる。恥をさらしていることは承知だが、便通には代えがたい。
 だからこの女性には、読んでいただくことが恥ずかしいし、申し訳ない。

 電話で話をした人は、昨日ブログに載せた夜間高校の同級生の奥さんともうひとり、大学時代入部していたオーケストラの同級生である。

 60歳のときに同期会を開いて以来であるから18年ぶりとなる。
 彼は都内で居酒屋の亭主である。

 大きな店ではないが、駅から近く、むかしの「焼き鳥・煮込み」と言った赤ちょうちんをぶら下げた懐かしい店であるから、それを目当てに常連客も多いらしい。

 特に彼のことが懐かしいということではなく、以前後輩から彼が心臓にペースメーカーを入れたという話を聞いていたから、このところの懐かしさだらけのついでにと言っては悪いが、電話を入れてみただけのことである。

 土曜日だが営業はしているはず。3時過ぎなので多分仕込みの時間ということかもしれない。

 若い店員が出て、マスターでもなく、旦那さんでもなく、社長さんでもなく、彼の名前を呼んでいた。
 膝が痛くてなかなか電話口までたどり着けないらしい。

 元気でいるらしい。ペースメーカーは5年に一度入れ替えると言っていたが、健康のため痩せるようにしているという。
 特に話もなく、近いうち寄ってくれと言うこともなかった。

 懐かしさのあまり古い知人に電話などをしてしまったが、懐かしさというものにも適時な年代というものがあるのかもしれない。

 若かりし頃を懐かしく思えるのも、家族や自分の健康があってのことである。

 懐かしさを諦めなければならない年齢というものがあるようだ。

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