気温が40度にもなる日が何日も続く夏はかつての夏とは違う。明らかに気候が変化している。
二酸化炭素を化石に閉じ込め、生物が生存できる地球になるのに数十億年かかったとされるが、その環境は化石燃料を燃やし続ければ100年くらいで簡単に壊れてしまうらしい。
以前ある学者が地球環境の破壊に関して、地球はそんなにやわではない。化石燃料を燃やしたところで何も問題は生じない、ということを話していたが、人間が生きていくには問題がある。
北極海の氷山は解け、シベリアの永久凍土はメタンガスを噴出しているという。南太平洋の島は海水の上昇により国土を失いつつある。
なんとかしなければならない問題だと思うが、何とかするにはあまりにも規模が大きすぎる。奇跡といわれる地球環境の成り立ちを人間が壊しているのだから、地球も人間を守る気はないだろう。
トランプは地球温暖化の問題は存在しないと言った。世界の指導者たるべき者が自己の利益のことしか考えない。地球の将来は決して楽観できない。
台風6号が沖縄地方に大きな被害をもたらしている。通り過ぎたと思ったらまた戻ってくるという台風である。長い期間にわたって暴風雨にさらされている。コンビニには水も食料もない。停電も続いているらしい。
今の物流は配送トラックを倉庫にしているようなものであるから、災害が起きなければ何の問題もなく商品は入荷するが、なにかあればすべてストップしてしまう。町の近所に生産工場があるわけではない。
南海トラフ地震で言われることは広い地域での物流の停滞である。西日本全部あるいは関東から東北まで地震の被害が及べば、物流の停滞ではなく生産もすべてストップしてしまう。
待っていれば食料が届くということではなく、いつまで待っても届かない、という事態になる。
いつもの公園に出かけた。ウォーキングは続けなければいけないと思っている。歩けるうちはそれをキープするために歩行練習ができるが、歩けなくなったら歩行練習もできない。
歩けないとはそういうことである。歩けなくなったら不便なことだろう。何事もそうだが、なってみなければ判らない。しかし歩けない不便さはなってみなくても判る。
義弟は、どんなにゆっくりでもいいから歩けることが大事です、と言う。ゆっくりでも歩けることと、歩けないことは全く違うことであるらしい。
先日ふと、いつまで車に乗ることができるだろうか、と思った。車がなければ生活に不便であるが、それよりも私にとって車はなによりの気分転換なのである。この解放感は他の物では味合うことはできない。
私にとってドライブは目的地に行くことではなく、ただなにも考えずひたすら車を走らせることなのである。でもスピード狂ではない。
人間がいくら頑張っても出せないスピードで移動することに、人は別の世界を感じるものである、と何かに書いてあった。死ぬまで車に乗っていたい。棺桶にはキーを入れてもらえればありがたい。
先日公園に向かうとき空の美しさにしばし見とれた。夏の空というものを意識したことがなかった。
青い空といえば「天高く」の秋である。ところが夏の空も青い。当たり前といえば当たり前であるが、夏の青い空がとても美しいのである。
夏の空は、「こんなピーカンでは今日も暑いな」としか見ない。勿体ないことである。これからは入道雲と一緒に青い空を楽しみたい。
青い空で高校時代に参加したNHKの合唱コンクールを思い出した。その時の課題曲が「青い空」であった。
歌詞を思い出すことができる。いつの季節を歌ったものかと口ずさんでみたが、季節のことには触れていない。
定時制高校生には制服がないから衣装はまちまちである。年齢も、見当がつかない、という生徒もいた。
年配の女子生徒は赤いスーツ姿であった。晴れの舞台、精一杯のおしゃれをして臨んだのである。
客席から見れば高校生らしくない変な合唱団であったかもしれないが、いい合唱団であった。(了)
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