今日はバレンタインデー。私の76歳の誕生日でもある。
バレンタインデーでは娘や息子のお嫁さん、孫娘からチョコレートをもらい、誕生日では息子たちからお酒をもらう。いずれもこの歳には体によくないものである。
そんなことを言えば「いつまで憎まれ口を叩いているの」と妻は私を叱責し、「いつまでもお父さんらしくていいじゃないですか」、と婿さんは笑う。
二 人とも私が年寄りになったと思っているのは間違いない。
76歳といえば年寄りなのか、まだ若いのか、まだまだ若いのか。
テレビに出る芸能人を見てみると私の世代はまだ若いという気がする。
もちろん頭髪などには変化はあるが一応に皆さん、おじいさん、という雰囲気はない。昔の76歳とは大分違う。
タモリにしてもタケシにしても高田純次にしてもまだ若く見えるが、しかしおじいさん役をやったらメイクしなくてもピッタリおじいさんになってしまう。この歳はそんな歳である。
正直言って、これからどうやって生きていこうかといろいろ考えあぐねている。
このブログに、迷いはない、というようなことを書いているが、やはり仕事をしないで時間を過ごすということに自信がない。思ったり書いたりすることが矛盾だらけである。
働いて、緊張して、嫌な思いをして、時にはやりがいを感じたりして、やけ酒を飲む日もあれば、達成感に満たされて飲む酒もある。偉そうな言うことになってしまうが人生とはそのようなものである。
そんなことがなくなるのが引退者の生活。迷って当然という生活である。
人は自分の悩みやつらいことを口に出さないことがいいこととされている。
しかし人は、人のつらく悲しい話にどう寄り添えばいいのであろうか。
今の世の中ポジの全盛である。ポジは流行り事ではないと思うが、ポジばかりの社会は、なにか人間をどこかにおいて来てしまったような気がする。
つらく悲しい話は自分の周りにはあってほしくはないが、つらく悲しい話はやはりつらく悲しい。(了)
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