木のベンチに座ったり、家の床にストレッチのためにじかに座ったりするとお尻が痛い。家内にその話をすると、お尻に肉がないからだと言う。
そういえば以前年寄りのお尻を風呂屋で見たとき、みんなお尻の肉が皺だらけで張りがない。私もそうなってしまったのだろうか。あの状態ならベンチなどに座ったら痛いはずだ。
歩きにくいことは相変わらずだが、より歩きにくくなったように思う。先日7ヵ月ぶりに整形外科を受診したが、天下の名医も私の問いに何も答えなかった。
今日から「あん摩マッサージ指圧師」の訪問マッサージを受ける。指圧師さんも「効果があるかどうかはなんとも言えません」と言っている。ならやってもしょうがないと思うが、保険適用で1回500円は安い。騙されてもいい。
墓探しもちょっと熱が冷めた。自分の入る墓を探しているのに、ここに自分が入るのかと思うとどうも気が進まない。
どこの墓園の説明も、家内を相手の説明で、私はいつもつんぼ桟敷である。
同じような話が昨日の新聞に載っていた。
記事を書かれた人の高齢な母親に関することであるが、介護に関するサービスの内容が、いつの間にか自分以外のところで決められていることに対してその母親は、「私の話は私にしてよ」と不満の言葉を表したという。
当然のことだと思う。まだボケてるわけでもない、死んでいるわけでもないのに、高齢者を相手にしてもしょうがないと思っているようである。
きのう久しぶりの会食を楽しんだ。父の日には3週間早いが、孫のスケジュールが何ヶ月先まで決まっているため、「繰り上げ父の日」として娘家族が設けてくれた祝い席であった。きのう孫の時間が取れたのは奇跡に近いということであった。
孫は売れっ子タレントではなく、名門高校のサッカー部キャプテンである。
120人のクラブ員の頂点に立っていることになる。後輩たちの羨望と憧れの的となれば爺さんとしてもこの上なくうれしい。
孫が通っていた保育園の卒園式で、子供たちは将来の夢を語ったが、男の子のほとんどはサッカー選手になることであった。
孫がサッカー選手になることはないと思うが、小学1年生から地域のサッカークラブに入り、小さな体で努力を続けてきた姿を見ている爺さんとしては、その結果がキャプテンということであれば何も思い残すことはない。満足であるし、よくやったと言ってやりたい。
娘の亭主とのつき合いは、彼がまだ学生のころからであるから30年は経つ。結婚してすぐの青年海外協力隊への参加、娘の妊娠中の海外留学、家族そろっての海外赴任。我が家に台風をもたらしたような人であったが、すべてがうまくいっているようだ。
私はマイナス思考であるが、彼によってプラス思考の人生というものを知らされた気がしている。
彼が大学卒業後私の事務所で少しの間働いていたことがある。辞める時彼は私にこう言った。「お義父さんの仕事に何のやりがいも楽しさも感じませんでした」
その通りだと思う。彼は金儲けだけが目的の世界に生きるような人間ではない。
それから彼は天職とも言うべき職に就き、難しい問題を抱えながら情熱をもって仕事に取り組んでいる。彼と話をすると、私にも違う考え方、生き方があったのではないかと考えさせられる。(了)
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