7年前、子供たちの心づくしの古稀の祝いを孫たちに囲まれて過ごさせてもらった。
当時はまだバリバリの現役、金銭的にも健康上もなんの心配もなかった。
72才の暮れ、高熱が続き脇腹あたりに変な痛みがある。医者には敗血症の恐れありと言われ即入院。暮れから正月にかけて病院のベッドで過ごした。
人生初めての入院生活であった。
退院して医者から、「ガンでなくてよかったね」と声をかけられた。愛想のいい医者ではない。私の症状は肝臓ガンを発症したときに併せて発症することが多い肝臓の疾病であるらしい。
以来肝臓ガンの発症はなかったが、74才の正月頃から整形外科や頭頚部腫瘍科の世話になる生活となった。
幸い今のところ再発も転移もなく、歩きにくさはあっても日常の生活に困ることはない。日常の生活に困ることがないということが、医者の言う健康ということらしいが、やはりものすごく大事なことであることに気がついた。
70歳前半。大きな病気さえしなければ老いを意識する歳ではない。いくらでも歩けるし、重たい物も持てるし、車の運転にもなんの支障もない。
70歳後半。やはりそんなに老いを感じる歳でもない。まだ若い。しかし人によって差の出る歳の始まりなのかもしれない。
80代の生活が予想つかない。80になったら突然世界が変わるということはないはずだから、そんなに不安を感ずることはないのかもしれない。
しかし80代の心配は病気ではなく、体力・気力・判断力・記憶力などの減退である。病気は運のようなもの。なったらなったであきらめるしかない。
日常の生活を維持できるような体力などが減退しても、生活を続けていかなければならないことに高齢者の困難がある。
歩けない。重たい物が持てない。買い物に行けない。
病気ではないが、健康な生活ではない。老いとは厄介なものである。
我が家の広さをまだ持て余していない。狭い庭も妻の丹精でいつも美しい。
三度の食事に困るようなことは全くない。衣服はいつも洗いたてものを身に着けている。
この日常がいつまでも続いてほしいと思う。しかし年老いて、いつまでも女房の世話になるのはよくない。自分のことは自分でやるべし、とネットにある。
親元から離れ、自立した生活を送ってきたと思っていたが、人生にはもう一つ妻からの自立があった。
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