高い金を払えばコメは買えるのであるからコメ不足ではない。今回のコメ騒動は、米価つり上げのために作られたコメ不足ではないか、という気がする。
コメ離れが進んだと言ってもやはり日本人の主食はコメ。
「何はなくともコメさえあれば安心だ」と母はよく口にした。貧しい母子家庭で、贅沢なものは買えなくても、コメさえ買えれば生きていける、という思いなのであろう。
主食というのはそういうことではないか。農家の収入を安定させるために価格調整ということも必要なのであろうが、たとえコメが余ったとしても、日本の倉庫にはコメが潤沢にあるという国であるべきである。
「コメの配給量を1億2,400万人に賄おうとすれば、コメの供給量は1,600万トン必要。ところが、今は減反でコメの生産量を650万トンに減らしている。備蓄も合わせても800万トンしかない。もしシーレーンが破壊されて、食料を輸入できなくなる時に、日本国民は半年以内に全員餓死する。それが減反政策。農林水産省は食料安全保障という目標を掲げながら、真逆のことをやっている」。ある農水省出身の評論家の言葉だそうである。
ある従業員3、4名の紙加工所の社長さんが、経理を見ていた女性に、「うちの会社に必要なものはなんですか」と尋ねたことがある。
その女性は、「上から全体を見ている人がいない」と答えたという。
社長さんは根っからの職人。働いていればいいというだけで、会社の経営とか経理財務などということには全く関心も能力もなく、仕事が終われば毎週釣り三昧。
副社長と言うべき奥さんは浪費家。見栄っ張りでもあるから、借金してでも息子たちの結婚式は都内最高級ホテル。同窓会となれば100万円くらいの指輪やブランド服などを買ったりする。
会社の仕事はまあまあ順調だったせいか、仕事をすれば何とでもなると、宵越しの金は持たなかった。
その後どういう人生になったか、容易に想像できることである。
こんな話を敷衍することになるが、小企業でも大企業でも国でも、全体を見渡すポジションの存在が必要である。
このところ主に中国人による北海道の土地の買収、都内マンションの購入、川口のクルド人の問題、外国人による運転免許取得など、将来的に大きな問題となることがいわば野放しにされてきた。
コメ問題も、主食であるコメの生産、流通がどうあるべきか、という観点から検討されたことがあるのだろうか。
縦割り行政、既得権の保護、利権の確保。そんなことしかないのではないか。
政治はなにより選挙。政治家は選挙以外のことには関心がない。
日本を高いところから見つめる人がいなければ、いずれ本当に日本は餓死してしまうのではないだろうか。
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