顔は口より伝わる

つぶやき

 今朝は4時過ぎに目が覚めたが、二度寝をしてしまい、イヤな仕事の夢を見た。目が覚めて、夢でよかったと思った。 

 6時過ぎに風呂に入り、朝食までの間ブログのメモ書きをする。書き留めておかないと何を書こうと思っていたのか忘れてしまう。

 だが今日のブログは、書き留めておいた「忘れてしまうこと」ではない。 

 きのうのブログに高市さんの顔について書いたが、あまり他人様の顔のことについてはとやかく言うものではない、ということが少々気になっている。

 しかし政治家や芸能人などは、いってみれば顔が勝負で生きているわけだから、多少高齢者の時間つぶしに使わせていただいてもいいのではないかと思う。そんなことで自分を納得させて人の顔について考えた。

 「人を顔で判断してはいけない」と、子どもの頃から聞かされてきた。だが大人になってみると、そんなこともない、と思うようになった。

 実際には、人は顔を見て判断してしまう。まず人を知るのは姿かたちしかないのであるから、顔で人を判断するのは至極当然のことである。

 しかもその判断が案外当たっていることが多い。

 やくざはやくざらしい顔をしているし、ずるい人はずるい顔をしている。
 怒りっぽい人は眉間に皺が寄り、他人を見下す人は口元に悪意が漂う。
 人の弱さや卑しさまでも表情のどこかに現れるものである。

 もちろん、顔そのものが人を決定づけるわけではないが、顔にはその人が積み重ねてきた歴史が刻まれる。
 
 顔とは「生き方の履歴書」のようなもので、学歴や肩書きよりも、よほど正直にその人を映し出す。最近そう思わせる学歴詐称の市長さんもいた。

 仕事をしていた時、電話で理不尽な要求をする依頼人や不動産業者などには直接会うようにしていた。話の内容を確認しようというのではなく、顔が見たいのだ。

 こんなことを言う人間はどんな顔をしているのか。会ってみるとみんなそんなことを言う顔をしていた。

 顔に表れているのは「性質」ともいえるが、「歩いてきた道」なのだと思う。

 顔で判断することが「正しい」のではなく、「この人はどんな時間をどう生きてきたのだろう」という事が判るのである。人が歩いてきた道が判るとその人が判る。

 露骨に人の顔の好き嫌いであるが、このところネットに映る沢田研二さんがどうも苦手なのである。あのトローンとした顔がどうにもこうにもダメなのである。

 言い過ぎになると思うが、沢田さんが歌ってきた歌。どうだったかなと思う。歌手が歩く道は歌の道。歌がそういう顔にさせてしまうこともある。

 人生さっぱりとした顔で老境を過ごしたい

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