頚椎症性脊髄症とのつき合いは、シャツのボタンがかけられない、バイオリンの弦巻が巻けない、ということが始まりである。12年前の秋頃からであった。
近所の整形外科に行ったら「あんた死ぬよ」と院長の言葉に脅かされ、大学病院や脊髄専門病院を紹介された。
私はそれまで病者通いをしたことはないが、この時の医者ほどタチの悪い医者はいなかった。まるっきりやくざである。
職業が人格を作るというが、こういう医者も珍しい。後で知ったが近所では、行ってはいけないワーストナンバーワンの医者であった。
東京の郊外にある頚髄専門病院の若い医師は、パソコンから目を離すことなく「頚椎症性脊髄症」との病名を告げ、考える余裕もないうちに手術の日取りを決めた。
検査入院も終わり手術の日程も決まった時、東北大震災が起きたため、手術設備の点検などで手術が延期となった。
延期になったことを幸いに、症状が多少回復したこと、手のしびれなども我慢できないほどのものではないことを理由に、手術の更なる延期を医師に申入れ、以後10年が経った。
10年経って手術しなければならないことになってしまった。
歩けない、歩きにくい、という症状の原因にはいろんなことが考えられるそうだが、私の場合、頚椎症性脊髄症のほかに腰部脊柱管狭窄症もあった。
歩けない原因はどっちなのか。医師もはっきりした答えは出さない。とりあえず首からやってみますか、というのが今回の手術であった。
手術をして3カ月、相変わらず歩きにくい状態が続く。腰に痛みがあるから首は治ったのかどうかもはっきりしない。
神経は傷つくと治らないと言われるが、あれから10年、長くほっときすぎたかな、と少し後悔することがある。
あの当時、首を開く手術に対する恐怖心から逃げ回ったことはごく普通の人情。後悔することはない、と自分に言い聞かせている。
それにあの若い医者は私を手術の練習材料としか見ていなかった。(了)
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