きのうは表は暑いが、家の中には涼しい風がよく入った。
家内は8時過ぎに友人と有楽町のバーゲンへ。お昼に丸の内に回ったらしく、ビルのレストランから撮った写真が送られてきた。
この何年も丸の内や日比谷に行っていない。高層ビルだらけになったようだ。いつものように、大地震が来たらどうなるのかと思う。
10時に車の1年点検でディーラーに。車を買った店は周囲になんの商業施設もないところなので、時間をつぶすのに難儀する。そのため少し遠いがイオンが近くにある店に替えたのだが、歩いてみると結構遠い。暑い日差しの中を汗をかいて往復することになった。
そのディーラーの近くに、10割そばの店が何ヶ月か前に開店した。帰りに寄って昼食としたが、私の好みの味ではない。もりそばが1100円。そういう時代なのだろうが、私の歳からは納得できるものではない。
昼過ぎに自宅に帰り、3時から鬼平の再放送があることを知る。
家内がいないのでテレビのボリュームを上げて見ることができる。
「五年目の客」。以前品川宿の女郎であった女が、神田の旅館の亭主に見染められ、幸せな生活を送っていたが、女郎のときの馴染みの男がある日宿に現れる。女にはその男の金50両を盗んだ過去がある。
最後は人情噺。人を殺した女の罪を鬼平は問わなかった。
「夢でも見たんじゃねえのか」。
鬼平、よく作られているようだが、やはり作り話。どこかに無理がある。
女の罪を問わないことに見る者の納得がない。
おまさの勘。「あの女は男を愛していない。女としてのときめきがない。愛し合っているなら女の身体にそれが出るはず、…」
気の利いたセリフだと思うが、長すぎた。一言でよかった。
池波正太郎の時代小説の情景描写などにカタカナが使われている、という指摘が少し前の新聞のコラムにあった。
どんな言葉だったが忘れたが、その記事を読んだとき、なるほどおかしいと言えばおかしいな、と思ったものである。
仮に言えば、「その日江戸の町はスカイブルーの空で、平蔵たちは探索をスタートさせた」という感じ。
枝豆を茹で飲み始める。酔った耳にはますますセリフが遠い。
思ったより早く家内が帰ってきて、テレビの音量に文句を言う。
夏本番前の、雨は降っていなかったが、ある日の午後のことだった。
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