離婚を考える

つぶやき

 私の友人や知人に離婚経験者が何人もいる。
 高校時代の友人で、国語の教師をうならせた恋愛論を書いた友人も離婚していた。
 素晴らしい恋愛論を書いたから離婚しない、ということはないが、彼の結婚式にも出席して奥さんを知っていることからも意外であった。

 離婚と聞いて意外に思ったのはこの友人だけで他の人は、そんな程度の人間だろうな、という人達だらけである。
 特に仕事の関係で知り合った不動産業界の人たちは、そのほとんどが節度もない離婚者であった。

 私は離婚は男に原因があると思っていた。私は離婚してまで生活をやり直そうなどと言う気力も体力も金力もないから、離婚など全く考えたことがない。

 ある不動産屋と知り合い、離婚者であることを聞いて、あなたが悪いのではないか、という話をしたところ「あんたは(私のこと)いい奥さんに恵まれたからそんなことを言うが、タチの悪い女というものもいるんですよ」と反論してきたた。

 私はそれに対して、そんな女の気性も気がつかず結婚する男がダメなんだ、と言った。私は頭がいいからあんたのように馬鹿な女とは結婚しないのだ、と理解されてもしょうがない言い方をしてしまった。

 その後この男性から、今つき合っている彼女を連れて私の別荘に行きたいと、いう話があった。
彼女というのは、何か月か前に夫を亡くし、家を売却するとき知り合った女性のことらしい。

 50近いというのに超ミニスカートをはいて現れた。どう見てもイカレポンチである。食事をしているとき、私の女房を前にして私を口説き始めた。
 男は嫉妬したらしくあわてて、私のそばに近寄る女を引き離した。
 愚かで不愉快な時間であった。世の中にはこういう女性がいることをはじめて知った。

 言葉が汚くて恐縮だが、世の中にはバカな男も多いがバカな女も多いようだ。
 前述した不動産屋の別れた女房がどういう女性であったかは知らないが、女房が浪費するとか、浮気するとか、ギャンブル好きだとか、家計の管理ができないとか、ということであればどうしようもないことになるであろう。
 そうであるなら離婚は男だけに原因がある訳ではないことになる。女性が原因で離婚するケースはたくさんあるだろう。そんなことをこの不動産屋から知った。

 私は朝、風呂に入り、風呂から出て着替えれば、食卓には湯気の立つ朝食が用意されている。
 昼は買い置きした食材から食べたいものを選び、夕は酒の酔い次第で食事を決める。
 食事の後片付けはしたことがない。洗濯も掃除も全くしたことがない。食事が終われば長椅子に寝転んで新聞を読んでいる。贅沢な生活をしているのである。つまるところ妻のお陰である。

 働いているうちはそれでいいのか、働いていてもそれは良くないのか、働かなくなったらそれは絶対まずいのか。やはり生活の分担ということを考えなければいけないのだろう。しかしずいぶんラクチンな人生を送らせてもらった。

 結婚は女性の我慢によって成り立っている、と言いたい女性もいるだろうし、我慢などと思ったこともない、という女性もいるだろう。

 昔仕事は男だけのものであった。男の仕事を女性が分担するということはあり得ないことであった。男は仕事をし、女は家事をする。女性の家事は仕事として考えるものではなかった。家事を男が分担するということはあり得なかったのである。

 しかし女性の家事労働を金銭に評価することが行われるようになって、家事に対する認識が変わったように思える。
 つまり女性も仕事をしている、稼いでいるではないか、と認識され、そのことから家事の分担ということが言われ始めたのではないかと思うのである。

 夫婦共稼ぎとなるともっと鮮明である。共稼ぎの女性が仕事もして家事もすれば不公平は歴然である。かつて家事は女性にとって当然のことであったが、「なぜ私だけが家事をしなければならないの」、という不満が正当に主張できる時代になった。

 息子が孫のおしめを取り換えるのを見て、義母が驚いたことがある。私も驚いた。「お前どうしたんだ。何があったんだ」と声をかけたくなった。

 結婚は我慢である、というべき結婚もあれば、結婚は夫婦の協働である、という結婚もあるだろう。いろいろあるだろうが、女房にせつかれることのない生活。これほど男にとって快適な生活はない。ただただ女房に感謝するしかない。(了)

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