「ともしび」という歌声喫茶は昭和30年には誕生していたらしい。確か西武線の新宿駅近くにあったと思う。
高校生の頃か大学生の頃か覚えていないが一度行ったことがある。2年程前、高田馬場に移転したことをテレビで知った。
一度くらいしか行ったことがないので、歌声喫茶に思い出があるということはない。
私は「皆さん一緒に歌いましょう」という健康的な人の集まりが嫌いなので、初めて行った時も多分、つまらない顔をして歌っていたのではないかと思う。いや歌っていなかったかもしれない。
以前からなんとなく、歌声喫茶とかうたごえ運動とかいうものは、共産党に関係しているのではないかという印象を持っていた。
共産党が悪いということを言いたいのではない。
私は高校も大学も夜間部であったが、同級生や先輩という人には民青(日本民主青年同盟)や共産党などに関係していると思われる人が多かった。
特に夜間高校生は、中学を卒業して地方から集団就職で東京に来た人が多く、その寂しさもあるのか、民青のような組織に入って友達を作りたいという気持ちがあったようだ。
昭和30年代後半の頃、民青の同級生は「日本をよくするのだ」とよく口にしていた。
大学では昼間部にしかオーケストラがないので、最初合唱サークルに入ったが、同じ夜間部の友人が3年の時オーケストラに入団したので、私もそれを機に入団した。
合唱サークルには共産党系の人が何人かいて、指揮者の先生も共産党の党員らしく、歌う歌にそれらしいものもあった。。
夜間高校とか夜間大学というのは今では死語に近いのかもしれない。
夜間高校は定時制高校といい、夜間大学は大学2部といった。
最近では定時制高校はほとんど廃校となり、大学2部は廃止される傾向にあるようだ。
夜間の学校は主に経済的事情、またはあまり頭の良くない学生、あるいは昼間の大学に不合格だった学生などが行く所であったが、経済的事情から入学してきた者には優秀な学生が多かった。
以前、「なべ」なんとかという芸人の息子がお笑い芸人としてテレビに出るときまだ芸名が無く、誰かは知らないが、「なべ やかん」と名付けた。
彼は某大学の夜間部出身であった。
夜間大学を語るには傑作なエピソードであるが、彼は夜間大学出身と名乗れるような人間ではない。
歌声喫茶も歌声運動も民青も共産党も、私の周りになんとなく存在していたが、私に影響を与えたものはなかった。
民青に関しては何度か集会とか活動に参加したことはあったが、入会を強要されたり勧められたことは一度もない。
組織のために好ましくない人物とみられていたのかもしれない。
しかしそんなことには一切関係がなく、なにか青春に関りがあるかのように、ないかのように、私の中には「鐘の音(ね)は単調に鳴り響く」というロシア民謡が心に深く残っているのである。この曲を知ったのは民青の集会で合唱団が歌うのを聴いた時である。
「夕べ告げる鐘の音 もの憂く鳴り渡り 馭者の歌哀れただ荒野を流れ行く」
合唱団白樺の訳詞によれば失恋の歌らしい。
アカデミー・ロシア合唱団のハミングをバックに切々と歌うテノールのファルセットは、早い酒が入った私の体には結構こたえる思い出がある。(了)
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