選挙は国家観で投票するもの

つぶやき

 関東地方はきのうの夜は雪の予報。外れてくれたのはありがたいが、乾燥注意報が出っぱなし。きのうも阿佐ヶ谷で火事。

 高市さんの高笑いだけは見たくないが、どうもそういうことになりそうな世論調査の結果である。

 しかし有権者は高市さんの何を良しとして高市さんを勝たせるのだろうか。施政方針演説がされたわけでもない。

 石破前首相も国会で首相の指名を受け、その8日後に衆院を解散した。「国民の信を問う」。石破さんは大敗し失脚。

 石破さんと高市さんはどこが違うのだろうか。2人に対する気分は確かに違う。

 政治家は国民のために政治をしているのではなく、自分の国家観のために政治をしている。すべての政治家が国家観を持っているということではないが。

 高市さんを勝たせてしまったらどういうことになるのか。

 高市政権が解散に踏み切る直前、国会には物価問題、政治とカネ、旧統一教会問題、生活支援問題、予算審議の遅延など複数の深刻な課題が山積していた。

 「私が首相でいいのか」解散は、自分の国家観をなにより優先させたいということである。

 高市さんの国家観に表現上「国民」は入っているが、その「国民」は高市さんが主張する他の国家観と矛盾する。両立しえない国家観を主張としている。

 両立しえない主張のどちらが本音なのかということが、今回の「私が首相でいいの」解散ではないだろうか。ほだされてはいけないのである。

 

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