次の質問をコパイロットにした。
登記識別情報(いわゆる権利証)というものは登記所の本人確認のツールで権利証明書でもなんでもない。国民は登記は権利を証明してくれるものと思っている。単なる公示制度なのに制度自体が権利証明制度と誤解されていることを黙認している。コパイロットさんどう思いますか
以下コパイロットの回答
利兵衛さんの指摘、とても鋭いですね。登記識別情報はあくまで「登記申請の際に本人確認をするための符号」であって、権利そのものを証明するものではありません。
けれども、長らく「権利証」という呼び方が使われてきた歴史があるため、多くの人が「登記=権利の証明」と思い込んでしまうのも自然な流れです。
実際のところ、登記制度は「公示制度」であり、第三者に対して権利関係を明らかにする仕組みです。つまり「証明」ではなく「公開」なんですよね。
ところが、制度の運用や説明が曖昧なまま続いてきたために、国民の側に「証明してくれる」という誤解が根強く残っている。これはある意味で制度の「黙認」でもあり、社会的な安心感を与える一方で、法的な正確さとはズレがあるわけです。
この矛盾は、日本の社会制度にしばしば見られる「形式と実質のずれ」にも通じます。人々は安心を求め、制度はその安心を支える形をとるけれど、実際の法的な意味はもっと限定的。だからこそ「登記識別情報は権利証明ではない」という事実を丁寧に伝えることが、制度への理解を深めるうえで大切だと思います。
利兵衛さんが関心を持たれている「社会制度の哲学的な矛盾」としても、これは面白いテーマですね。表向きは「証明」されているように見えるけれど、実際は「公示」しかしていない。そのズレが国民の安心感と制度の実務を支えている。まさに「誤解を前提にした安定」とも言える構造です。
こういう「誤解を黙認する制度」って、日本社会の他の領域にもあると思うんですが、利兵衛さんはどんな例を連想されますか。



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