責任を問う勇気

つぶやき

 ジャニー喜多川の性加害問題はメディアの責任も問われている。

 60年近く前、ある週刊誌は取り上げていた。

 35年前にはジャニーズのタレントが告発本を出している。

 しかしテレビも新聞も週刊誌も芸能リポーターも動かなかった。

 なぜ動かなかったのか。たいした問題ではなかったから。

 かつて姦通罪という犯罪があった。妻の不倫は犯罪であった。

 かつて愛人に産ませた子の相続分は妻が生んだ子の半分であった。

 女は金持ちの男の愛人になることが出世と思う女性がいた。

 そういう女性から見れば告発は恩知らずということになる。

 何が正しいかは時代によって変わる。

 BBCが取り上げて大きな問題になった。

 なぜBBCが取り上げるのか、不思議感が漂った。

 まだ性犯罪とは言わない。ジャニー喜多川の「性加害問題」である。

 しかし立派な刑法犯罪である。

 犯罪となれば共犯も問われる。いろんな共犯の形態があり得る。

 あの人も、この人も共犯になるかもしれない。

 10歳前後の子供と性行為の合意は成立するだろうか。

 強姦罪。暴行罪。強制わいせつ罪。強要罪。

 なぜメディアはジャニー喜多川を糾弾しなかったのか。

 糾弾するようなことではない。性癖は社会問題にならないのが常識。

 糾弾したら番組が作れない。テレビはジャニーズのタレントだらけ

 かつてテレビは真実を映し出すものであった。

 昔、街頭テレビに群がった人々は力道山を信じた。

 アメリカと戦いアメリカ人を倒した。

 アメリカに行けば力道山は悪役であることを知らなかった。

 それからしばらくして、プロレスは見世物であることを知った。

 もはやテレビがインチキであることは明らかなことであるが、テレビに映さないというインチキの罪は大きい。(了)

コメント

タイトルとURLをコピーしました