負の遺産はなかったことにする

つぶやき

 昨日は関東大震災から100年目の日であった。
 毎年この日になると当時の映像や体験者の話などが放送されるが、新関東大震災が放送されることのないよう祈りたい。

 今年は特に朝鮮人虐殺に関する放送や記事が多かったような印象がある。
 朝鮮人と間違われて殺された話、受け答えできない聴覚障害者が殺された話、初めて聞く話であった。

 国は朝鮮人虐殺に関する記録は存在しないと言明している。記録があったとしても国の責任があるわけではないから、特に問題にすることもないということであろう。

 しかし日本人はなぜ朝鮮人を恐れたのだろうか。朝鮮人が仕返しをするという話があるが、何の仕返しなのだろうか。

 集団の狂気と言ってしまえばそれだけのことだが、あの時代、穏やかで勤勉と言われる日本人の心の中に、憎悪ともいうべきものが存在していたことは確かなようである。

 野村農水大臣の汚染水発言が問題にされている。口が滑ったらしい。汚染水であったが、今は浄化して処理水と言うべきものだった。

 処理してすぐに海に放出できるのなら、なぜあんなにタンクを並べる必要があったのだろうか。ここのところが良く分からない。
 野村大臣の認識からすれば、処理水も汚染水も同じことなのだろう。

 記者会見で謝罪するなら原稿の棒読みはやめた方がいい。そうしないと口が滑ってしまうというなら、大臣失格ではなく社会人として失格である。

 しかし中国外務省の王文斌とかいう白髪を7・3に分けた報道官。実に嫌な顔をした男である。日本では最近あの手の顔を見かけなくなった。

 したり顔と言うのかドヤ顔と言うのか、とにかく自信に満ちた顔というのは日本ではあまり歓迎されない。

 日本の大臣がみんな控え目に見えるのはいいことだが、何かしゃべると目立ってしまうというのはどういうことなのか。

 大臣とは功労賞のようなものだから、緊張感をもって仕事をしてほしい、と官房長官が言っても、いまさら仕事なんて無理な話、ということだろうか。

 安倍首相以来、負の歴史を忘れようという傾向がある、という指摘があるが確かにそれはある。

 最近では忘れようというのではなく、存在しないことにしよう、ということになっている。

 大谷翔平は「いつまでも憧れていては勝つことはできない」と言った。
 防衛費増額は「いつまでも反省していては外国にやられてしまう」ということである。
 自分を卑下していては何も始まらない。安倍さんは偉い人だったのかもしれない。

 ビッグ・モーターで名前の出る損保ジャパンとは昔の安田火災海上のことであった。
 あの新宿のスカートピルを見て気が付いた。最近の保険会社の社名は分かりにくい。

 昔仕事のことから招待され、ビルの上の方にある東郷青児美術館を見たことがある。ゴッホのひまわりを購入する前のことだと思う。

 安田火災は、以前にも業務内容が営業偏重になっていると指摘される体質を持つ会社である。
 保険会社はその業務の性質から、健全な体質を持つ企業になりにくい。物を作る会社にモラルはあるが物を売る会社にはモラルがない。

 鈴木金融相が損保ジャパンへの立ち入り検査を示唆した。
 どこかで見た顔と思ったら、鈴木善幸氏の子供であった。昔の会社に昔の政治家の息子。こういうのを何の遺産というのか。

 大臣たちがみんな年寄りである。テレビに映るのは皺だらけの額ばかり、みんな下を向いて原稿を読んでいるからである。

 我が住む町のシンボルともいえる大型店舗が10月でなくなる。これからはパンツ1枚買うのに2つ先の町に行かなければならない。

 きのう西武の従業員は雇用確保を掲げてストライキをおこなったが、西武は外国ファンドに譲渡された。

 池袋という町がこれからどうなるのか見当もつかないが、渋谷などに比べると立ち遅れているような感がある。洗練という言葉が結びつく町ではない。

 こんな時に言っては失礼だが、肝心かなめの西武がそもそも昔からすっきりしていない。買収に次ぐ買収で建物は横に長くなり、中に入ってもごちゃごちゃしているだけである。

 多くの埼玉県民が最初に降り立つ大都会。そう言われれば、田園調布から降り立つ渋谷と違うのは当然ということになるのだろうか。(了)

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