このところ、わが身の幸運を思って酒が入ると口に出る。病気を経験したからかもしれない。
「こんな人もうらやむ家を建て、仕事をやめても食べていける。有難いことだ」と。
何年か前、最低仕様の安マンションの窓から近所の一戸建てを眺め、いつかあゝいう生活ができるのだろうか、と思っていたものだが、運よくできるはずのなかったものができてしまった。
この思いが家内には伝わらないようだ。私の自慢話と、女房はなんの役にもたたなかった、というように聞こえるらしい。なんの学歴も人脈もない男の人生。自慢話にするような気概があるならもっと成功していたはずである。
50年一緒に暮らした人に気持ちが伝わらない。
「貴女と結婚したお陰で今の暮らしがある」と最初に言えば、私の思いは伝わるのかもしれない。
妻は私ではない。他人であった。伝えるならば、伝える配慮をしなければいけなかった。伝える言葉でないならば、便所でひとり呟いていればよかった。それを「空しい」と言ってはいけないのであろう。
何か月前から朝「おはよう」と声をかけることにした。まさか、と思うのが正常である。私達夫婦は結婚以来、おはようと言う言葉を交わしたことがなかった。
ケンカもしていないのに朝黙って洗面所などで顔を合わせる。これはおかしい。
おかしいのは私だけではないのだ。
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