以前といっても40年近くも前のことであるが、マンション住まいをしているとき、我が家の上の階の入居者が変わった。
仲介をしたという不動産会社の社員がわざわざ挨拶に来て、今度引っ越しをされてくる方はこのような人です、と本人たちが引越しする前に紹介した。
それによると新しい入居者は定年退職されたばかりというご主人と奥さん。それに息子さんが一人ということである。
息子さんは東大を卒業されて、現在司法試験受験の準備をしているという。
この話を聞いて優秀な家族が引っ越して来るのだな、と思ったが、東大を卒業したという息子さんが司法試験の受験をしているということに少し違和感があった。
引っ越しされてきてすぐに親しくなった。いいご夫婦であったが、ご主人は少々見栄っ張りである。息子さんを裁判官にしたいということであった。
不動産会社の社員がどうして息子さんの司法試験受験を知っていたのかと不思議に思っていたが、どうもこのご主人が「うちの息子は東大を出て今司法試験を受けている」と、自慢したものであることが想像できた。
それから何年か経ったが、息子さんの司法試験合格という話を聞かない。東大法学部出身であるなら現役中あるいは卒業した年に取るものである。あのご主人が合格を黙っているはずはない。
こちらから聞く気もなかったが、ある日テレビで、息子さんが歌声喫茶の店長をしていることを知った。
歌声喫茶は昭和30年代にブームになったが、高齢者が懐かしさを求めるらしく、現在も規模や形を変えて存続していたらしい。
息子さんは司法試験受験をやめて、好きな歌の世界で生きていくことを決めたようだ。
ご主人は多くを語ることはなかったが、東大法学部に現役で合格した自慢の息子さんが、歌声喫茶で歌うだけでなく、客のおつまみを料理し、食べ終わった食器を洗う姿を見て、なんとも情けない気持ちになったことだろうと同情した。
しかしここで悔やんではさらにみっともないと思うのか、ご主人は「本人が好きなことをやるのが一番」と平静であった。
国家試験は個性豊かな才能を持つ人を登用する試験ではない。国の制度運用に役に立つ能力と知識を試す試験である。国が求める能力以外のものは切り捨てられる。
昔から芸術に才能のある人は司法試験に受からないと言われている。自由な才能は法律職には不向きであるからである。
ほとんどの国家試験は予備校に行かなければ合格すことは難しいことされている。。
天才的な独自の理論を述べても合格することはない。あくまで国が定めた制度をどう理解し暗記しているかということが問われる。
弁護士などにつまらぬ人間が多いのはこのためである。
息子さんが日本歌曲のCDを出した。ご主人から「良かったら聞いてみてください」と1枚いただいた。
なかなか素晴らしいテノールである。こんな才能があるなら司法試験などに合格する必要はない。
ご主人に息子さんの歌を褒めたが、あまりうれしそうではなかった。
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