血液型による性格の違い、というようなことが言われ始めたのはいつ頃からだったろうか。
印刷会社で働いていた15,6歳の時、同僚がどこからか聞いてきたのか、面白い話として話題にしたことがある。その頃が血液型性格の始まりであったかもしれない。
ウィキペディアで著名人を検索すると必ず血液型が記載されている。
科学的には、「血液型と性格に相関関係はない」とされているようだが、医学的には、「血液型によって免疫力が異なる」ということから、大いに関係がある、ということも言われている。
科学的か、医学的か、何が違うのかと思うが、血液型によって相手の性格を一応判ったことにするのは、人間関係において少しは役に立つ。
「この血液型じゃ性格が悪そうだ」、「この血液型らしい人だ」。
ウィキペディアが血液型を記載するのもそういうことからか。
私は自分の血液型と性格について一部納得している。いろんな説があるようだが、「熱しやすく冷めやすい」、「興味のあること以外にはとことん無関心」、ということについてはおっしゃる通りということになるが、「楽天家」「プライドが高い」「好奇心旺盛」ということについてはちょっと違うと思う。
適当に語呂合わせのように作ったものであろうから、各血液型の説明に矛盾もある。各型の主だった特徴はこんなことになる。
A型は神経質だが、協調性がある。
B型は飽きっぽくてマイペース。
AB型は二面性があるが感覚に優れている。
O型は大雑把でポジティブ。
果たして人物紹介に記載する意味があるのだろうかと思うが、こんなことで人が判ったことにするのもいいかもしれない。人間関係とはそんなものであった。
血液型による性格が話題になる前から、県民性ということがとやかく言われたことがあった。
ウィキペディアに限らず人物紹介には出身地が記載される。出身地とは生まれた地のことで、育った地のことではないようだが、生まれた土地からすぐに親が転居したということもある。出身地を記載することになにか意味があるのだろうかと思う。
血液型は人の性格のことだが、県民性は人柄のことであった。
血液型の性格にはいいものも悪いものも記載されているが、県民性の人柄は悪い面が強調されたように思う。
昔の人は県民性についてよく口にした。私の母などは、「あの人はあそこの人だから商売がうまい」、「あそこの人は口がうまいから騙されないように」、などと、あまりいいことでは言わなかったものである。
私の生まれた県はどんな県民性かと調べたら、「南北に長いからその地域によって県民性は異なるが、漁師町では博打好きが多く、打算的な人間が多い」、と散々である。
海洋性気候が女性の発育にいいらしく、江戸時代では商家のお妾さんはこの県出身の女性が多いと言われている。親はそれを目的として娘を育てていた、などと女衒のようにも書かれている。
人の性格や人柄はつき合ってみなければ分からない。情報の少ない時代では、県民性は人の警戒心に役に立ったようである。(了)
コメント