三浦洸一さんが亡くなった。97歳。この人は本当に懐かしい。
「落ち葉しぐれ」は6歳。「弁天小僧」は8歳。「あゝダムの町」「東京の人」は9歳。「踊子」は10歳。
年齢は三浦さんが歌った当時の私の年齢である。
1950年代。三橋美智也、春日八郎と同時代だが歌の内容は違う。あの時代に都会的な歌を歌っていた。
「東京の人」にはトレモロなどという言葉がある。
ほとんどの曲が佐伯孝夫作詞、吉田正作曲であるが、三浦洸一と言えばなんといっても「踊子」と言われる曲の作詞、作曲は別の人である。
「踊子」が発表された年に、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒットとなった。
同じ都会派の歌であったが、その後三浦さんはあまり人気がなくなってしまった、という印象を子供心にも持ったものである。
後年タモリさんの番組で話題になったような気がする。タモリさんは私と年齢が近い。三浦さんの歌が懐かしくて自分の番組に呼んだのであろう。
端正な歌唱は誠実な人柄を表しているようである。
「のぞみも夢も はかなく消えて 唄もなみだの 渡り鳥」
私がまだ歌を歌えた時の、数少ない持ち歌の一つであった。
コメント