草刈正雄さんのファミリーヒストリーの再放送があった。おとといの夜12時近くからきのうの午前1時にかけての放送であったから、ビデオに録って見ることにした。
草刈さんのことについて書くのはこれで3度目であるが、父親がいないという話になにか気になるものがある。
大体の内容はネットの記事で知っていたから、それをなぞるように見たようなものだが、どの記事にも〝驚きの結末〟と書いてあったのでそのことに関心があった
どうやらその驚きの結末とは、最後に草刈さんが訪米して父の親戚と会うシーンのことだったらしい。そんなに驚きや感動の結末でもなかったと思う。
この番組は、草刈さんは今まで父親は生まれる前に朝鮮戦争で死んだと母親から聞かされていて、父の写真はすべて母親が焼いてしまったから父の顔も知らない。その父親が10年前まで生きていて、父親の顔もこの番組によって初めて知ることになる、というヒストリーである。
考えてみなくてもものすごい話である。これ以上の劇的なことはないと言っていいほどの話である。〝事実は小説より奇なり〟どころの話ではない。
それにしては映像も草刈さんも淡々としていた。父親の写真が画面に映るシーンはこの番組のハイライトではないか。70歳にして生まれて初めて見る父親の顔である。
しかしカメラの動きはその写真を特に強調するようでもない。感動を誘う音楽が流れるわけでもない。
意図したような感動を避けたのであろう。草刈さんは涙を拭いたが号泣はしなかった。草刈さんが号泣したらこの番組は別の構成になっていたかもしれない。
この録画で分かったことだが、昭和27年、草刈さんは母親が20歳、父親が22歳の時の子供であった。
97歳になるという叔母の言葉にはそれなりの真実味があった。母親から送られてきた手紙と写真。その幼子は弟にそっくりであった。
しかし敵国の女性が生んだ子。自分たちの生活もままならず、わずかなお金を添えて返事を出しただけで何の援助もすることができなかった。
しかし身重の恋人を日本に残して何の連絡も取らなかった弟を責めることはなかった。壁には結婚した女性と幸せそうに映る父親の写真があった。
みんないい人たちばかりであったが、しかし一つ疑問が残った。誰もが気がつくことだが、草刈さんの兄弟がいない。母親違いの兄弟姉妹のことには一切触れていない。
登場するのはいとこ達だけである。父親には草刈さんの他に子がいたのか、いなかったのか、はっきりしたことはなにも示されていない。
叔母は日本にいる甥のことは自分の胸にだけに秘めてきたという。そうであるなら弟の妻に話すことはないだろうし、子供たちにも話すわけにはいかない。
NHKのアメリカのスタッフが、ロバート・トーラーという名前で関連があると思われる人たちに大量のメールを送ったとしているが、ロバート・トーラーの遺族には届かなかったのだろうか。
たとえ日本のことは知らなくてもそのメールを受けとれば当然気がつくはずである。軍人であった。朝鮮戦争に従軍したことがある。その父親は郵便局員であった。
父親なのであるから草刈さん以上にロバート・トーラーについて知っていたはずである。
名乗り出なかったのか。NHKが後編のためにあえて触れなかったのか。
草刈さんは叔母という人の手紙に心が動いて渡米した。そのことが12月に続編とし放送されるらしい。
兄弟たちは出てくるのだろうか。草刈さんに年齢も近いそっくりな兄弟が現れるかもしれない。すでに両親は亡くなっている。何のわだかまりもなく、母親違いの兄弟として受け入れたら素晴らしい番組になるだろう。
草刈さんがこれ以上悩むことのない番組であってくれることを願うばかりである。
草刈さんについて3度目のブログを書くのは、ビデオを見ていてある言葉が気になったからである。
「この子をつれて電車に………」
草刈さんはこの次の言葉を続けなかったが、苦しい生活の中で母親は電車に飛び込めばいい、ということを何度も口にしたらしい。
私の記憶に同じような言葉がある。「汽車から飛び込んでしまえばいい」
私の母の言葉である。夫を早く亡くし、幼い子供たちとの生活に疲れてはてた時そう思ったことがあるらしい。何度も聞いた言葉である。
母の故郷は茨城である。東京から常磐線で故郷に向かうと、汽車は何度も鉄橋を渡る。荒川、江戸川、利根川と常磐線は川が多い。あの当時は電車ではなく汽車であった。
汽車の昇降口にはドアはない。危険な場所である。母は鉄橋に差し掛かったらここから飛び込めばと思ったようだ。
大人になって何度か常磐線に乗って鉄橋を渡ったが、童謡「汽車」に歌う面白さを感じることはなかった。
草刈さんの母親と私の母親は共に戦争によって夫と別れることになった。
草刈さんの父は、恋人をアメリカに連れていくことも日本に戻ることもなかった。妊娠した恋人を置いてアメリカに帰るということがおかしい。自分から軍に願い出たと見るのが自然である。
私の母は夫が戦争で負傷したことが原因で死に別れることになった。
いずれもどうしようもできない女性の不幸である。
2人の母親は、電車と汽車の違いはあるが同じことを考えて生きてきた。飛び込んでしまえば何もかも楽になる。しかし子供のことを考えるとできなかった。戦後の社会、不幸な女性に同じことを考えさせる時代であった。
親の苦労を見て生きてきた世代というのは、団塊の世代で終わりということにしたい。子供を道連れに汽車に飛び込む、などという思いを持った母親の思い出は持ちたくない。親の苦労を引きずる世代は早く終わった方がいい。
しかし本当にNHKはどうするのであろうか。朝鮮戦争で死別のままにしておいたほうが良かったのではないか。ハビーエンドにできるのだろうか。母親と自分を捨てた男を許せるのだろうか。草刈さんも難しい立場に追い込まれてしまった。12月の後編が待たれる。(了)
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