良心は無力

つぶやき

 前橋市の小川市長は元気に政務に励んでいるらしい。
 市の男性職員とラブホテルに10回以上も行って、男女の関係はなかったと言い通した。

 伊東市の田久保元市長は書類送検されたようだが、まだ起訴には至っていないらしい。

 最後まで卒業証書は提出しなかった。警察も卒業証書には強制捜査をしなかった。警察は社会的に知られた事件となると慎重になるらしい。そんな事件とも思えないが。

 松本洋平文科大臣の議員会館不倫問題は、「女性に会館を案内しただけ」という答弁で終わったのだろうか。もし議員会館を不倫の場としていたらやはりちょっと問題になる。

 今日の新聞の文春広告には、「洋平ちゃん、もう嘘はやめよう」という不倫相手の女性の告白が掲載されていた。

 不倫に関して言えば、小川市長も松本大臣も嘘をついていることになる。
 そう言い切れますか、と問われるかもしれないが、法廷論争をしているわけではない。社会常識として言っていることである。

 人には良心というものがあって、それによって人は己を律するものとされている。そういうことになっているが、そのように律することは現実にはない。

 人は誰しも、自分を“そこそこ善良な人間”として生きている。
 この自己肯定を壊さないために、人は驚くほど器用に自分を正当化する。

 たとえば政治家なら、「これからも前橋市民のために尽くしたい」

 良心は「社会的な目」があって初めて働く。良心は自律を意味するものではない。
 “外部の目”があるときだけ、良心は急に強くなる。だからこそ、「バレなければいい」という発想が生まれる。

 良心は自律を意味するものではない、ということだが、「良心に対して恥ずかしくないのか」という言葉が、少なくとも公人においては自己を律するものであってほしい、が一番難しいことである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました