今まで経験したことがない腰痛に襲われている。ギックリ腰というのか関節痛というのか、とにかく足を踏み出すとガクンと腰が折れ激痛が走り、倒れるのをこらえようとするとナイフで刺されたような鋭い痛みが腰の周りに生じ、身動きできないという状態になる。
今週の月曜日から「あんまマッサージ指圧師」の訪問マッサージを受けているが、それが何か影響しているのだろうか。
昨日2回目の訪問日であったのでそのことを若いマッサージ師に伝えたが、骨盤がずれているという。
「月曜日から何か重たい物でも持ちましたか」、と聞くので箸以上重たいものを持ったことはないと伝えると、それらしいマッサージをして帰って行った。
笑いごとではないが、思わず笑ってしまうような痛みである。何故笑ってしまうのか、「動けないということは大変なことである」ということが判ったからかもしれない。なにか本格的な老いの病に進んでいくような気がする。
こんな時に大地震でも起きたらどうするんだと思う。笑い事ではない。
先日久しぶりに秩父の蕎麦屋に向かった。国道299号線の山登りのようなドライブになるが、秩父の手前に正丸トンネルがある。結構長い。こんな時地震でも起きたらどうするのか、とこれまた暗いことを考える。
「トンネルだ トンネルだ うれしいな」は童謡の世界のことであった。トンネルとは不安を感じさせるところである。
ひところの味とは変わったようだが、その後どうしただろうかと思いながら蕎麦屋の暖簾をくぐった。12時半というのにほとんど待つことなく席に着くことができた。
私たちが食べている間に空席がいくつもできて、以前のように後から後からという賑わいがない。
蕎麦はこの店に行き始めたころの太さはなく、細くコシもあまり感じない。
やはり経営者が変わったとか職人が替わったとか何かあったのであろう。
蕎麦屋を出ていつものように荒川沿いに車を走らせ花園に向かう。山々の緑が美しい。
花園には農協の農産物直売所があり、関越に入る前にいつも立ち寄ることにしている。大きな温室での草花の販売所もあり、家内も楽しみにしている店である。
この販売所には刃物屋さんが店を出している。私は花よりも刃物を見るのが好きだから、家内がいろいろ花を物色していても退屈しない。この日は店のおやじさんが「刃物屋のおやじが言うことを聞いていれば間違いはない」と勧める剪定ばさみを一丁買った。私が使うわけではないが、家内が早速試してみると、とてもよく切れるらしい。あのおやじ、人相は悪いが正直者らしい。
帰りの関越を赤いスポーツタイプの車で走ったが、人生最後の車をグリーンの車にしようかと考えていた。プジョーのカラーに感心しているのである。
日本の車はみんな顔つきがきつくなった。穏やかな顔つきのグリーンの車がいい。
顔つきの悪い人生を送ってしまったようだから、最後は顔つきの穏やかな車に乗りたい。人生最後の車とは、できなかったことを満たしてくれるものでいいのではないだろうか。
腰痛、蕎麦、はさみ、車の買い替え。高齢の身にもいろいろと日常はある。(了)
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