先月地下鉄サリン事件の報道があった。地下鉄の職員であったご主人を亡くされた夫人がテレビに映っていた。
どうして今地下鉄サリンの報道が、と思ったが、あの事件は28年前の3月であった。
あのような事件を起こす集団が、この日本の社会に存在していたことに驚きがあった。優秀という日本の公安警察をもってしても未然に犯罪防止ができなかった。
公安警察については少し関わったことがある。30才過ぎのころ、小さな建築会社の総務人事を担当していた。
ある日私服の刑事が2人訪ねてきて、「こちらの社員のことで聴きたいことがある」、と警視庁公安部の名刺を出した。
何人もの社員が仕事をしている傍らの、小さな打ち合わせ用椅子に案内して話を聞くと、若い女性社員のことであった。
彼女が何か悪いことでも、と聞くと、そういうことではなく、彼女が電車の中に本の忘れ物をして、それが社会主義とかロシア革命とかに関する、ある団体が発行する教育資料なのだ、というのである。
それが何か問題でも、と聞くと、いや問題というのではなく、要はお宅の社員がこういう団体に所属しているということである、と言う。
そういう団体に所属していることに何か問題でも、と聞くと、別に問題だということではない、と答える。
では何しに来たのですか、と聞くと30分くらい、こちらの社員がそういう団体に所属している、ということだけ大きな声で繰り返して言って帰って行った。
そういう組織に入っていることが分れば、会社はその女性社員を首にする、ということが目的のように思えた。
しかし電車に忘れた本がどうして公安の手に渡ったのであろうか。不思議というより、鉄道も警察と結びついている。戦前の通報義務が残っているのだろうか。
しかし公安警察は宗教と人権問題についてはかなり慎重だという。慎重というより何もしない、という方が正しいようだ。
オームを監視しながらたくさんの犠牲者を出してしまった。何を監視していたのだろうか。
人権団体を標榜する似非人権団体の関係者が、いろいろ社会で問題を起こしているが、警察はほとんど取り締まらない。
宗教と人権問題は、何かあれば警察トップの責任問題になる、という話はよく聞くことである。
地下鉄サリン事件の9カ月ほど前に松本サリン事件があった。
オーム真理教とは何の関係もない多くの市民が犠牲になった。犯罪を実行したオームはそれまで各地で事件を起こしている。
坂本弁護士一家殺害や公証人役場の事件など、早く解決していれば、オームの犯罪体質を把握できたのではないか。そうすれば松本事件や地下鉄事件は防止できたはずである。
坂本弁護士一家が殺害されたのは1989年である。家族の遺体が発見され、オームの犯行と判明したのは1995年。地下鉄サリンの時である。
警察は、坂本弁護士一家失踪事件についてなんの捜査もしていなかったと言っていいだろう。
坂本弁護士は自由法曹団に加入していた。共産党系ということもあり、いろいろ政府にたてつく、けしからん弁護士として認識していたらしく、それが原因で捜査がされなかったとも言われている。よくある話である。
信仰の自由がある、というオームの主張に対して坂本弁護士は、人を不幸にする自由はない、と敢然とオームと戦ったという。警察は戦うべき相手すら把握できない。
松本であれほどの犠牲が出たにもかかわらず、オームの犯行であることが分からず、地下鉄事件でさらに多くの犠牲者が出てから、警察はオームの本拠地である上九一色村の捜査に入った。
武装した何百人の機動隊の先頭にいたのは機動隊長ではなく、黄色いカナリヤであった。
松本事件は、サリンによって殺戮が行われたのである。
それまで各地で異臭事件を起こすなど、オームと毒ガスの関連は認識されていた。それなのにその捜査を怠り、こともあろうことに、サリンを作れるはずもない農薬を持っているからとの理由で、警察は被害者を犯人に仕立て上げた。
奥さんはサリンによる神経障害により意識不明になり、自身も被害を受けた河野義行さんは、オームの行為と警察の冤罪とメディアによって苦しむことになる。
長野県警は、河野さんが体調に苦しむ中、「犯人はお前だ、亡くなった人に申し訳ないと思わないのか、早く罪を認めろ」と自白を強要したという
朝日新聞をはじめ各報道機関も、警察の発表を真に受け河野さんを犯人扱いした。有名な植物学者の孫とか曽孫であるというような、まことしやかな報道がされた。
それは地下鉄サリンによって多くの犠牲者が出るまで続き、河野さんへの疑いを晴らすような報道は一切なかった。
奥さんは、河野さんの献身的な看病の甲斐もなく、14年後に亡くなられている。
河野さんがこの事件において示した人間性に関しては、私のつたない文章では書き表せない。
河野さんはすべてを許したという。警察も報道もそしてオームまでも。警察は謝罪したのかどうか知らないが、報道関係の大半は謝罪したらしい。
妻は重体であり、本人もサリンによる体調不良の中、連日警察の取り調べを受け、自宅への脅迫電話は止むこともなく、息子さんたちは学校で嫌がらせを受けた。
河野さんの心の中は判りようもない。でも河野さんはすべてを許したという。すごい人である。
「耳を信じて目を疑う」という言葉がある。「百聞は一見に如かず」の言葉もあるから、「耳を疑って目を信じる」というのが正しいのではと思うが、しかしこの言葉はこの通りで正しい。世の中のあり様を示している。
人は他人のうわさを信じるものである。
人は社会によって苦しめられることがある。あってはならないことがよくある。よく、このようなことは二度と起こしません、と謝罪する光景を見かけるが、このようなことで、一度目に死んだ人の家族のことは、どう思っているのであろうか。(了)
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