大谷に第1号のホームランが出た。日本人みんな同じような気持ちでいたと思うが、とにかく「よかった」という感じである。
ホームランが出る前のドジャーズ監督の言葉が実にいい。最近こういう配慮のある言葉をあまり聞くことがない。なかなかの人格者のようである。
「“自分らしくいれば、それだけでいい”と言ってもらえた。それで気持ちが楽になった」、と大谷は監督から助言を受けていたことを明かしていた。
松平健という役者さんは嫌いではないが、マツケンサンバというのはどんなものだろうか。
住宅メーカーのCMで何度が見たことがあるが、暴れん坊将軍との落差が大きすぎて、この役者さんの「姿勢」というものを疑ってしまう。
なんでもノリが良ければいいというものではないと思うが、芸人というものはそういうものなのだろうか。
マツケンさんの「自分らしく」には、あのサンバも入っているということなのか。話題にはなったようだが、大きなものを失ってしまったような気もする。
頚椎症性脊髄症の手術から2年近く経ち、腰部脊柱管狭窄症の手術から1年半が経つ。いずれも歩行困難の原因として手術をしたものだが、結果はあまりよくない。
術後経過とともにますます歩行困難は悪化しているようでもある。術後は杖を突かないで歩いていたが、今は杖がないと不安になる。
昨年の10月頃、医者に、「まだ経過観察をする必要がありますか」と尋ねたが、医者はしばらく様子を見たいという。
私の手術は10年程前に説明を受けた術式とは大分違う。この説明を受けた手術は結局受けることはなかった。
以前のものは、金具や腰からとった骨を頸椎に装着するという大掛かりにものであったが、今回行った手術は頸椎を割って広げて脊髄の圧迫を除くというものである。金具も腰の骨もなにも埋め込んでいない。
経過観察とは、脊髄圧迫は繰り返すことがある、ということからそれを確認するためのものなのであろうか。
頚椎症性脊髄症の手術をした人が何人か私の知人にいるが、私の少ない人間関係からすればこの病気を経験している人はかなりの確率で多いということになる。ところが良くなったという話を聞いたことがない。
日本人は他の民族に比べて首が細いらしい。そのせいなのか脊髄も細いという。
ヨーロッパ人などは首の太さのまま顔の幅になっている。首の幅と顔の幅がほぼ一緒なのである。
日本人は細い首の上に大きな顔が乗っている。首に負担がかかりすぎていることになる。
年をとったことによる疾患を、若い頃と同じようにしようということがそもそも無理なことである。うまく年をとるということが大切なようだ。
老いは誰でも初体験。「いつまでも元気で若々しく」「最後まで自分らしく」とサプリの宣伝にあるが、そうありたいと思うのが人の気持ちである。
しかしそれがかえってうまく年をとることの妨げになっているという指摘もある。
80歳を過ぎて脳梗塞で倒れた人が、以前と同じように歩きたいとリハビリに懸命になるか、あるいは車椅子の生活をよしとして心静かに暮らすか、どちらの生き方がいいか、と尋ねる話がある。
この話を書いた医師は、車いすで心静かに暮らすほうがいいという。なんとか元の状態にしたいとする人には心に余裕がなく、悩みや嘆きばかり深くなって、いい老いを迎えることができないという。
しかしそうだろうか。リハビリに懸命になる人が心に余裕がないとは言えないし、車いすの人が心静かに過ごせるとは限らない。
サプリも医者も、自分に都合のいいことだけを言っているということである。
この医者は自分の書いた本が売れればいいという人である。売れるような本はまともな内容では売れない。だからまともなことは言わない。(了)
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