能登半島地震が発生してからかなりの時間、被害状況がなかなか把握できないという状況があった。
山間部が多いという地域性や過疎、高齢化にその原因があると考えていたが、作家の髙村薫さんは政府の危機管理能力の問題だとする。
「何が起きているか分からない。被害規模が判らない。それが救助、救援の遅さにつながったのではないか。台湾有事などの非常事態が起きたとき、私たちがどのような状態に置かれるかということをまざまざと見せつけられた気がしました」と述べている。
台湾有事と大震災。国民の命をどう救うか、ということにおいては同じことである。
髙村さんはまだまだ鋭敏な頭脳を持っておられる。日本の社会は事が起これば右往左往するだけのことである。
今日のブログはあまりいい動機のもとに書いているのではない。場合によってはセクハラということになるかもしれない。
女性の主張というものは、あまり女性を前面に出さない人のほうが信頼に足る気がする。言い方が難しいが、化粧っ気のない人の方がまともである、ということである。
女としての色香にこだわる女性の話は、いくら硬い政治の話であったとしても説得力がない。申し訳ないが、髙村さんあたりになると俄然真実味がある。
よくテレビに出て、コメンテーターをされる東大出の女流学者さんがいるが、ここにきてずいぶん顔が変わってしまった。
以前から少しずつ変えていたように思うが、ここにきて一気に完成したようだ。
あの新しい顔で話をされても、なにか他のことを考えているようで、話に真実味がない。
ひと頃成績の良かったジャンプスキーの女性選手は、今シーズンも不調であった。体調を崩しているという話もある。
田舎の娘さんが外人女性のように美しくなっていった。両立するかな、と陰ながら心配していた。
先日山本リンダさんがテレビに出演した。目をそらさなければと思うほどのショートパンツ姿での登場である。相変わらず抜群のスタイル。奇跡の72歳と言われるらしい。
番組の全部を見たわけではないが、リンダさんは終始女性を演じていた。
歳をとっても女性に希望を与えるほどの美貌、とネットにある。太らないために大変な努力をされているのであろう。偉い人であるというべきである。。
つまらないことを書いてしまった、と言ったら名前をあげた人に失礼になるが、学者の女性は学者として美しく、スポーツの女性は溌溂と美しく、美貌を売る女性はより美しく、というのがいい。
ファッションモデルは美しくあることと仕事が一致しているから、女性の仕事として最も理想的であるが、全部の女性がファッションモデルというわけにはいかない。
〝女装〟のタレントたちは女性を装うことが仕事である。少しでも美しい女性になろうとする男たちである。
男であって美しい女性に見せるために化粧や整形をする。こういう生き方からどんな考えが生まれるというのだろうか。
美しい女性を真似る男の生き方というものが一向に理解できない。理解しないほうがいい。
世の中、分からないものがあってバランスがとれている、ということもある。
こういうことはやはり書くことではなかった。 (了)
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