立ち上がれルシエン  

つぶやき

 父親としての思い出が何かあるだろうかと思う時があるが、父親らしいことはあまりしたことがないから思い当たるものがない。

 娘は幼い頃小児喘息の発作をよく起こした。何歳のころだったが、ひどい発作になり顔面蒼白の脱水症状の状態になった。

 急いで病院に連れて行き、点滴により事なきを得たが、病院のベッドに横たわる幼い娘を見るのは初めてのことだった。

 タクシーでの帰り道、顔に赤みが差してきた娘の顔を眺め続けた。娘はだいぶ楽になったのか、無言だったが穏やかな表情で私の顔を見つめていた。
 思い出と言えるのか、あのときの娘の顔が心に残る。

 子供たちが少し大きくなって、子供たちだけで寝る習慣をつけさせようと1室を子供部屋にして2段ベッドを購入した。
下の段が娘、上の段が息子とした。娘が6歳くらい、息子は4歳くらいの時である。

 子供たちがベッドに入る時間になると私は下段の娘のベッドにもぐり込み、狭いベッドに3人、まさに川の字のようになってしばらく時間を過ごすのである。

 その時私は思いつくままにうろ覚えの昔話を子供たちに話した。子供たちは私の話を聞き漏らすまいと思うのか、目をつむって私の腕の中に体を寄せていた。

 話は他愛のないものであった。私が子供のころ聞いた笠かけ地蔵とか、ごんきつねといった昔話だが、子供たちにはあまり受けなかったようだ。雪女の話をすると怖いのに、聞き入っているのがよくわかる。

 ある時うんこの旅というメチャクチャな話を即興で作って聞かせた。
 ある日は娘のうんこ、次の日は息子のうんこ。

 そのうんこが家のトイレから流れて旅に出る。川を下り、街を眺め、広い海に着いて旅を続ける。時には渡り鳥が羽を休めるためにうんこにとまるが臭いから飛び立ってしまう。
 我ながら下品な話だと思うが、子供たちには日本昔話よりは受けたようだった。

 しかしそんなこともわずかな時間のことであった。あっという間に子供たちは成長し、父親の話などに耳すら貸さなくなってしまった。
 あの川の字は父親としての思い出なのだろうか。

 1960年代の終わりころから、世界の名作と言われた物語をアニメ化した番組が民放にあった。中断期間を入れて40年にわたって30作以上の作品が放送された。

 番組名はその時のスポンサーによって変わったが、長く続いた番組名は世界名作劇場である。ムーミン、アルプスの少女ハイジ、フランダースの犬、母をたずねて三千里、などが初期の作品である。

 娘が生まれた年はハイジの年であったがこの頃の作品は全く見ていない。
 子供向けアニメと言ってもトムとジェリーのような漫画ではなく物語であるから、この番組を子供たちが見て理解できるのは少し成長してからのことになる。

 ハイジは何年か後の再放送で見ることができたが、残念なことに中でも最高傑作と言われるあのフランダースの犬を見ていない。

 娘が3歳半くらいの時新しい町に引っ越しした。妻の好みなのか娘はいつも赤いジャンパースカートを着ていた。近所の住む若い母親から「ハイジにそっくりね」とよく言われた。

 この番組を見始めたのはトム・ソーヤーの冒険あたりからではないだろうか。子供たちが楽しみにしていたというより親の私の楽しみになった。とはいえ毎回必ず見たということでもない。

 それから3年ほど後に「アルプス物語 わたしのアンネット」という物語が始まった。スイスのローザンヌに近いロシニエルという村に住む少女と少年を主人公にした話である。

 後で知ったことだがあまり視聴率もよくなかったようだ。子供たちもそんなに見入ったわけでもない。キリスト教の教えを根底にした物語である。
 しかし私はこの物語に引き込まれてしまった。

 ほとんどの回を見たと思う。連続ドラマを1年にわたって見るのは昭和41年の大河ドラマ源義経以来である。

 思いもかげず友達(アンネット)の弟(ダニー)に不治の怪我をさせてしまった少年(ルシエン)の贖罪の物語である。
 アンネットもルシエンも7歳から14歳までの物語とされている。

 アンネットの母親はダニーを生んでまもなく「ダニーのことをお願い」という言葉をアンネットに残して死んでしまう。

 ダニーは崖から落ちて命は助かったものの一生松葉杖で歩かなければならない体になってしまう。ルシエンが突き落としたのではなく、遊んでいるはずみで落ちてしまった。

 アンネットはルシエンを許さなかった。気の弱いルシエンは罪の意識にさいなまれる。

 ある日、隣の町のホテルに、足の手術で有名な医師が滞在していることを姉から聞いたルシエンは、その夜ダニーの足を診てもらおうと吹雪の峠越えを決心する。明日の朝には医師は帰ってしまうということを姉から聞いていたからである。

 吹雪の山中でルシエンは疲れはてて寝てしまう。眠っては死んでしまうと自分に言い聞かせるが体が動かない。

 それからどれだけ経ったのか、気がつくと吹雪は止み星が輝いている。「立ち上がれルシエン」自分に言い聞かせるように、力を振り絞って星明りを頼りに歩きはじめる。

 医師ギベット先生の出発に間一髪で間に合ったルシエンは、「ダニーを診てくれますか」と一言口にしてその場に倒れ込んでしまう。

 吹雪の峠を越えて自分に会いに来た少年の想いを見捨てるわけにはいかない。ギベット先生は出発を取りやめ、ルシエンと共にアンネットとダニーが待つロシニエルに向かう。

 「アンネットと僕が仲直りをするのに8ヵ月、8ヵ月もかかりました。でもアンネットと仲直りをしても、ダニーは今でも松葉杖をついて歩いています。すべて、すべて僕の責任なんです。だから姉さんからギベット先生のことを聞いたとき、僕は夢中で峠に向かって……」

 このルシエンの言葉は汽車の中で、「どうしてダニーは怪我をしたのか」、というギベット先生の質問に答えたものである。

 演じた声優の名が今でも語り継がれるほどの場面である。ストーリーを説明している気はない。あの感動を思い出しているのである。

 全話が終了して子供たちとこの物語について話をしたかったが、子供たちにはあまり面白い話ではなかったようだ。少しはルシエンの勇気に感心したかと思ったが、そうでもないらしい。

 ビデオに撮ったものを私が見ていると「お父さん、もうすぐ泣くよ」と私の顔を覗き込む。私は涙をこらえるが、どうしても涙があふれてしまう。それを見るのが子供たちには面白いようだった。

 子供との触れ合いはいつの世も永遠の片思いだそうだ。
 そう言われてもしょうがない。自分の都合のいいときだけ親になっても子供には興味がないようだ。

 結局父親としての思い出はほとんどない。親らしいことをしてこなかったことのツケが「重いで」         (了)

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