社会常識とはまさに社会の常識であるから、社会に出なければ社会常識は必要のないことになる。
社会常識は社会に出れば自然と身につくものではなく、身につけなければ身につかないものである。
昔は就職した会社が社会の常識を教えたようだ。挨拶の仕方から、謝罪の仕方、訪問する際の手土産、お茶の出し方まで、新人教育の中に組み込まれていた。ただし、いわゆる大企業とか大手の銀行だけだったのかもしれない。
私は幼い頃、居候していた家の叔母から行儀についていろいろ口うるさく言われた。朝の叔父へのあいさつ、出かけるときの行ってきます、ご飯を食べるときのいただきます、敷居を踏んではいけない、鼻のかみ方etc。
最近は、食事をするとき手を合わせるような恰好をするようになったが、食事の時は食材に対して頭を下げるものと教わった。
食材は祈るものではなく感謝するものである。そんなことから、手を合わせて祈っているような若者たちの仕草が、とってつけたようで嫌いである。
知人の奥さんが入院したという話を聞き、共通の知人と一緒にお見舞いに行った。
見舞金をおいて病室を退室する時、「お茶でもどうですか」、と言うので病院内のレストランに行った。
帰り際、会計のところを通った時「割り勘でいきましょう」と知人が言う。一瞬耳を疑ったが、私は一緒に行った人の分まで割り勘にして支払った。
社会常識のない人だった。この時この知人は50歳くらいだったと思う。その後みっともないことで懲戒事件を起こし、所轄官庁から6カ月の業務停止処分を受けている。
私が以前所有していた山荘に、彼女を連れて遊びに行きたい、という人がいた。
前日電話がかかってきて、なにかお土産でも持っていかなければいけませんか、と言う。
答えようがない。社会常識のない男である。この時この男は40歳くらいだったと思う。女房は逃げてしまった。
サラリーマン時代の部下が、新築した我が家に来たことがある。
もちろんクロスも新しいので、タバコを吸わないでほしい、と頼んだ。しかしかつて私の部下として何事にも従順であった男がタバコをやめない。
次から次とタバコに火をつけ、部屋は煙だらけである。注意してもうすら笑いを浮かべ吸い続けた。これは社会常識ではなく、私に仕返しをしたということであろう。
従順と思っていたが恨んでいたのである。うかつであった。この時このかつての部下は50歳くらいであった。
息子がまだ小学生の時一緒に知人の家を訪問した際、食事時になり寿司を取ってくれた。
ではいただきます、いいうとき、後ろに立っていたその家の奥さんが私の肩越しに手を伸ばし、中トロあたりをわしづかみにして口に放り込んだ。
1回では足りなかったのか、3回ほどそれをやった。そしてみっともなさを隠すためか息子に、エヘッとにらみつけ、訳の分からない声を発した。
その時その奥さんは45歳くらいだったと思う。まさに餓鬼というべき女性であった。
若い頃妻とともに知人の家に招待され夕食をご馳走になったことがある。
料理が待てど暮らせどなかなか出てこない。そこのご主人も、料理ができるまでビールでもいかがですか、ということもない。
大分たってから、冷めた料理がテーブルに並んだ。
後で知った話であるが、この奥さんは無類のきれい好きな人であった。料理は作って、料理道具をすべて洗ってしまいこまなければ食事をしないということであった。
食事中も私の座るテーブルの下を箒で掃いていた。この時この奥さんは30歳くらいであった。歓待よりきれい好きを通した。
社会常識とは人によって様々である。 (了)
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