砂の器と熱海富士

つぶやき

 きょうNHKBSで映画「砂の器」の放送。観るまでのこともないが、少々懐かしさがある。終われば大相撲千秋楽。それまでの時間つぶしにチャンネルを合わせた。

 昭和35年から36年にかけて新聞に連載された松本清張の長編推理小説だが、映画化は昭和49年。

 映画公開の当時私は27歳のサラリーマン。同僚とサボって新宿の映画館で観たが、見終わって「こういう映画は好きじゃない」と言った同僚の言葉が今でも記憶にある。まだ元気に生きているだろうか。懐かしい人である。

 原作は学生時代に読んだが、原作には物語としての完結性があるが、映画は刑事が捜査会議で涙を流すなど、理解しにくい部分が多い。

 日本映画史上不朽の名作と言われているが、今日観て迷作であったと思う。もっと言えば駄作である。

 制作者たちは原作のどこに焦点を置いていいのか迷ったらしい。ハンセン氏病、親子の放浪、殺人、ミュージックコンクレート。まとめようがなかったようだ。

 「親子の放浪の旅をメインにしたらどうだろう」と言い出したのは脚本を担当した山田洋次氏。この人は人情噺が好きである。

 逮捕に向かう刑事の言葉。
 「和賀は父親に会いたかったでしょうね
 「そんなことは決まっている。彼にはもう音楽……音楽の中でしか父親に会えないんだ」

 意味不明である。こんなセリフで2時間半に及ぶ映画を終えようとしている。この監督は何を考えて映画を作ったのか。

 なによりピアノが弾けない加藤剛さんの演技が痛ましい。結局加藤さんはこの映画に出演して何を演じたのか。ハンサムだけだったように思う。

 ああいう映画を素晴らしいとしてはいけない。なんの主張も感慨もない映画である。親子が放浪の旅に出れば観客は感動するというのは思い違いも甚だしい。、

 映画が終わって、映画に意味を持たせるように、ハンセン氏病に関する映像が流れた。映画は「ためにならなくていい」と思うが、NHKはそういうことをする。

 3時半に終わって国技館は千秋楽。
 安青錦と熱海富士。実に困った。両方とも好きである。

 琴桜に安青錦は勝つだろう。欧勝海に熱海富士はなんとか勝てる。優勝決定戦は間違いない。

 熱海富士が勝って、あのめちゃくちゃに嬉しがる熱海富士を見たい。あんなに楽し気な顔をする男はここ何年も見たことがない。

 だが十両以来応援してきた安青錦が勝てば横綱は目前。いつまでもモンゴルでは、という気もある。

 しかし熱海の町から富士は見えない。

 今夜も地震がないことを祈りつつ。

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