相  撲

つぶやき

 栃ノ心が引退を表明した。何年か前に栃ノ心が優勝した時、両国まで行って優勝パレードを見に行ったことがある。
 別にファンではないが、異国の地で苦労して優勝した外国人力士を祝ってあげたいという気持ちになった。それに一度優勝パレードなるものを見てみたいという気もあったので、いい踏ん切りになって両国まで出かけた。

 4時頃に両国に着いたのでパレードまで時間をつぶすのが大変だった。6時過ぎても国技館の周りに人だかりとか、人の動きがない。
 駅の方からパレードを見物する人たちが大勢歩いてくるのかと思っていたがそんな人の流れはない。

 パレードは国技館の正面玄関から始まることを知ってそちらに向かうと人だかりがあった。しかしものすごい人数ということではない。国技館の玄関の周りを取り囲むだけで、道路の先まで人が溢れているということではなかった。
 玄関前には白いオープンカーが停まっていた。なかなか栃ノ心が出てこない。

 7時近くなってのことだろうか、やっと出てきてパレードが始まった。
 パレードが始まった、というと長いパレードを連想するが、パレードは玄関を出て一般道に出るまでの、ほんの数十メートルのことである。
 相撲関係の人達がたくさん出てなにかセレモニーでもするのか思っていたが何もない。見物人も玄関周辺にいるだけである。

 盛大ということではない。優勝力士がオープンカーに乗って「ちょっとそこらへん、ひと回りしてくる」という感じのパレードである。たしか初場所であった。1月の7時は真っ暗である。華やかさはない。

 相撲は面白いと言っていいのだろう。「言っていいのだろう」と書いたのは相撲について好き嫌いがよく言われるからである。
 かくいう私は相撲が好きというほどではない。そんなことからこういう書き方になってしまった。

 裸の男がふんどし一丁で戦う。何よりルールが単純明快である。決着が速い。小が大を制することがある。大技が決まれば見ごたえもある。相撲が面白くないということではない。

 相撲はスポーツと言えるか、という話題が昔あった。その結論はどうなったのか知らないが、相撲はスポーツでなくていい。そんなことをはっきりさせる必要もない。
 スポーツとすると面倒である。腹の出ているスポーツ選手というのはいないことになっている。腹の出ているのは、引退前のピッチャー江夏くらいなものである。
 
 相撲は神事であり、見世物であり、興行であり、男芸者であり、タニマチであり、国技であり、スポーツらしきものである。長い歴史があるからそういうことになってしまう。今ではスモーレスラーという言葉もある。

 おすもうさんの体は、日本酒とチャンコで作るという話を聞いたことがある。
 相撲通の人に言わせると、制限時間の経過と共におすもうさんの肌がピンク色に変わっていくのがとても美しいという。実にマニアックである。テレビでは分からない。
 そういう肌になるには日本酒でなければダメらしい。以前ウィスキーしか飲まないという横綱がいた。そういえば琥珀色の肌をしていた。

 しかしおすもうさんは怪我が多すぎる。相撲がスポーツであれば土俵などの形状についても怪我に対するケアはされるのではないだろうか。
 見世物という意識が強いと安全よりも見た目が優先し、そこまで注意しないような気がする。

 しかし包帯だらけであってはせっかくの見世物が台無しではないか。
 怪我が多いのは突っ張り相撲が多いせいではないだろうか。昔は栃若も柏鵬もがっぷり四つに組んでいた。土俵の下に突き飛ばすようなことはしなかった。

 大の男がいわば素っ裸で戦うのである。みっともないものである。綺麗なはずはない。相撲は所作の美しさにあると言われるが、そういうことにしないと見ていられないからである。
 勝っても負けても表情に出さない。勝っても負けても表情に出す見苦しさを人に感じさせたのは白鳳である。朝青竜もそうであった。

 ともにモンゴル人であるからしょうがないということになるが、しかし彼らによって、相撲は所作がなければ見ちゃいられないものであることをあらためて日本人は知ることになった。
 白鳳の勝ち誇った顔は実にイヤな顔であった。土俵上でガッツポーズをしては、ちょんまげもまわしも塩まきも意味がないことになってしまうのである。

 貴乃花が退職する前、相撲協会との間に争いがあったようだが、その時の貴乃花には何か大きな改革をするのではないか、という雰囲気があった。しかし結局何もなかった。今では実に軽薄な顔をしてテレビコマーシャルに出ている。こんなことからも相撲の信用は失われるものである。朝青龍などは相撲から神事を取り除いてチンピラの喧嘩にしてしまった。

 モンゴル出身者がいなければ相撲は成り立たないようなことになった。どう見たって国技が蒙古に乗っ取られたようなものである。
 白鳳さんは優勝しすぎたのかもしれない。大鵬さんの記録を破ってしまっては可愛げがない。
 白鳳の断髪式には相撲協会関係者は一人も出なかったらしい。白鳳は相撲の格式を壊してきた人である。協会としては残ってほしくない人なのかもしれない。

 北の富士の相撲解説はなかなかいい。相撲など解説するようなものじゃないと話すのがいい。
 舞の海の解説はくどい。自分の相撲分析に酔っているところがある。謙虚であることの大切さは知っているようであるが、謙虚になり切れない若さがある。

 私が何よりイヤなのはお相撲さんの歌う演歌である。
 断髪式の後、髷を落としたおすもうさんが派手なスーツ姿になってマイクを持って演歌を歌ったりしている。
 何を考えているのだろうかと思うが、何か考えていたらお相撲さんにはならなかったということだろう。

 増位山という引退したお相撲さんの歌がとても嫌いである。実はそれを書きたくてこの稿をここまで書いてきたのである。(了)

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