病は黙ってやってくる

つぶやき

 昨日急きょ大学病院の口腔外科を受診した。ここ2週間ほど歯茎の腫れが治らないのである。多少痛みがあるからがんではないだろうと思っていたが、2週間という期間は病気における目安とされている。

 朝ブログを書いていてやはり気になり、ネットで口腔がんを調べてみると、私の症状とぴったりの写真が掲載されている。
 こりゃやばいと、ブログを急いで書き上げ送信し、9時前からかかりつけの歯科医院に紹介状の依頼をしたが、担当医が今日は休みなので月曜日にしてくれと言う。
 それなら結構と断り、直接大学病院に受診の申し込みをした。この際紹介料なしの初診料でも仕方ないと決心した。

 9時半過ぎに病院に着き、受付を済ませ口腔外科の待合スペースに向かったがかなりの混雑であった。
 しかしどういうわけか早く呼び出しがあり、病院についてから1時間くらいで終えることができた。

 バンカラ風な医者であったが、歯茎を見るなりがんではないという。やれやれである。
 歯茎に嚢胞ができていて、あごの骨も一部溶けているとのことであった。この病院には昨年撮ったPET-ctの画像が記録されている。

 骨が溶けているとはどういうことかと思ったが、いろいろ聞いても答えそうもない医者と思ったので、ただ話を聞くだけにした。
 病院通いも長くなると医者の人相を見てその性格まで分かるようになる。要は言うことに矛盾がなければ何も尋ねないほうがいい。

 大した手術ではないから取ったらどうかという。局所麻酔の外来で、入院は不要だそうである。
 他の病気の定期検診もあるのでしばらく抗生剤で様子を見たいと言うと、それはそれでいいが、あくまで対症療法で根本的治療にならないという。
 そんなことは分かっているが、急に言われてその場で決心、というわけにはいかないということである。

 抗生剤でかつてアレルギーが出たことがある。そのことを医師に伝えると、薬名はなんだと聞く。
 そんなことは覚えていないというと、その抗生剤を飲んだ時の病院と医師の名前を聞く。

 それは覚えているから伝えるとスマホを取り出し電話をし始める。近隣の病院の医師たちの番号がほとんど登録されているらしい。
 結果としてはその医師につながらなかった。後で連絡を取るということであった。
 この医師はアレルギーに対してはひどく熱心で慎重である。アレルギーで人は死ぬという。

 しかし抗生剤はいろいろな時に飲んできた。感染症の病気の時は抗生剤で治療する以外ほかにないのではないか。
 医師も何も確認することなくいとも簡単に処方して、私も何の疑問もなく飲んできた。そんなに重要なことなら考え直さなければならない。

 そういうことでこの日は抗生剤を出さないという。今まで飲んでアレルギーの症状が出なかったものを調べてほしいというのである。1週間後にまた来てくれと言うことで診察室を出た。

 この医師とのやり取りで思ったことではないが、医師もいい結果を伝えるときはいいが、余命などを伝えなければならない診断をするときはつらいものがあるだろう。
 しかし医師は事実を伝えるだけであるから、医師によって命が絶えることになるわけではない。

 そういう意味では裁判官の死刑判決とうものは医師よりつらいものになる。死刑になる原因を作ったのは犯罪者本人だということは言えるが、罪を犯したら即死刑になるわけではない。
 死刑にするという判断が裁判官によってなされて死刑となる。情状酌量次第では減刑もあり得る。裁判官が生殺与奪の権を持っていることになる。

 いい話ではないが、体調がおかしいと病院に行ってみたら余命宣告をされたという人が私の周囲に何人もいる。
 なんでそうなるまで放っておいたのかという話になるが、病気によってはそうとも言えない。がんの場合は大半が本当になんともなかったのであるからである。

 スポーツ関係の人ががんで亡くなると意外に思う。なんであんなに強くて丈夫そうな人がという思いになる。相撲では北の湖、千代の富士ががんで亡くなっている。
 プロ野球では大島康徳さんも北の湖と同じ大腸がんである。変調に気づいたときは末期だったらしい。北の湖は62歳、千代の富士は61歳ですい臓がんであった。

 命に係わる病気なのに予兆がない。自覚したときは死につながる。そんな話が人間にあっていいものなのかと思うが、がんという病は非情である。

 残された人に耐えがたい寂しさを与え、人生の喜びや人に対する愛しさをすべて奪い去っていく。心からご冥福をお祈り申し上げる。(了)

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