福島原発汚染処理水の海洋放出について、地元の人たちにマイクが向けられた。「仕方ない、どうしようもない」と、ほとんどの人が答えていた。
政府は地元民との約束を守らなかったと新聞は報じている。「地元の理解が得られなければ投棄しない」、という約束が交わされていた。
「地元の理解」とはただ一つだと思うが、「理解にもいろいろある」という発言が政府関係者から出てきた。これは詭弁ではなく、このような思考方法を持った人間が政府関係者ということである。
昨日の夕刊をめくると「田中正造の闘い今にこそ」という大きな記事が目に飛び込んできた。
田中正造。私が最も尊敬する人である。私が最も尊敬する人の一人であるのではなく、私が最も尊敬する人である。私が尊称として先生と呼ぶのは田中正造だけである。
田中正造先生についてこのブログに書こうということではない。先生の偉大さについて私ごとき筆力で書けるものではない。
足尾銅山の廃水処理がまだ続いているというのである。福島原発処理水との重なりを指摘する記事である。
足尾銅山の閉山は今から50年も前である。だが今も坑内から流れ出す廃水には重金属などが含まれ、半永久的に処理し続けなければならない、ということが書いてある。
銅山を所有し管理する会社は、今後200年でも300年でも対応できると答えているが、地元民は大雨のごとに処理能力の不備を指摘している。対応が遅すぎると住民は訴えている。
足尾鉱毒事件が終わったとは言えないとする、ある研究者の言葉が紹介されていた。
私は会社勤めを辞め自営になった時、田中先生のゆかりの地を訪ねたいと思った。自営になることと何か関係があったのかと今になって思うが、行かねばならないと思っていたのである。
足尾銅山、渡良瀬川、惣宗寺、雲龍寺、田中正造記念館、遊水地になってしまった谷中村。
谷中村はとりわけ感慨深い。田中先生が村民とともに強制収用に抵抗した場所である。葦が生い茂る村の跡地を歩いたが、わずかに古い道標が点在するだけで、田中先生が村民に寄り添うため移り住んだ村の面影を見ることはできなかった。
名主の家に生まれながら全財産を鉱毒被害に苦しむ村民救済に費やし、最期は信玄袋に3つの石と聖書を残して死んだ人である。こんな政治家はかつて一人もいなかった。
原発事故は過ぎた話にはできない。終わったことでもない。やっちゃったことはしょうがないというわけにはいかない。原発事故がこれからの日本の社会にどう影を落とすのか。政府は国民に知らせるべきである。何十万年かけて使用済核燃料を処理するなどという話は、処理できないということである。原発事故は重大な事故であることが忘れ去られようとしている。
原発の話を機にするにはスケールが小さくなるが、国がタバコを販売するというのはどういうことだったのであろうか。いまさら考えることでもないが、国はタバコの広告をするよりも、タバコの害を国民に訴えるべきではなかったか。塩とタバコは国民の命に関しては同じではない。
タバコの人体に対する害を個人の嗜好のことにしてしまった。国はそれこそ声を嗄らして熱心にたばこの害を訴えるべきではなかったか。
いつも国の都合が優先される。国の都合で国民が不利益を受けるということはあり得ないことなのだが、この国には一般国民の他に支配国民という国民がいるということである。いつの時代も支配国民の利益が優先される。
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」100年以上も前の田中先生の言葉である。(了)
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