生きるは映画の話

つぶやき

 きのうは東京でも20度を超え、青梅では25度の夏日を記録。地球温暖化を認めようとしない愚かな大統領がいるが、彼も地球も間違いなく異常である。

 約400年の周期で発生する日本海溝、千島海溝を震源とする超巨大地震について、東北大のチームが研究成果を発表。かなりのエネルギーが蓄積されているらしい。いつ起きても…。怖い話は忘れよう。

 きのう 3時近くなってテレビをつけたら「生きる」の葬儀の場面。このシーンはあまり見たくないとチャンネルを替えた。旗日でもNHKBSは映画を放映しているとは知らなかった。

 この映画は以前見たことがあるが、いつごろの製作かと思って調べたら1952年の作品。昭和で言えば27年。黒澤監督が42歳。

 この映画はまず市役所というところ、地方公務員というものがどんなものなのか、ということの描写から始まっている。

 「行政はたらい回しで誰も責任を取らない」「誰も決断しない」「仕事は“やっているふり”だけ」「会議は形式だけ」

 私は地方公務員という職に軽蔑に近い印象を持っているから、この映画を初めて見た時は拍手喝采したものである。

 しかし同時にこの映画が作られた時代を考えると、どうしてこの頃から地方公務員たちが無責任で、いい加減な連中ばかりだったのか不思議でしょうがなかった。

 敗戦から7年。高度経済成長期は55年から始まったと言われるから、社会も人々も活気づいていたはずだし、市役所も新しい時代にみんな一生懸命だったのではないかと思っていたからである。

 その疑問をコパイロットに聞くと、戦前の地方行政というものを教えられた。戦後の地方行政は新しい制度を作りながら、戦前の踏襲だったようである。それで納得した。黒澤監督はそのことについての批判をしたらしい。

 この映画のメインテーマは役所批判ではない。「生きる」であるが、がんという死の宣告を受けて生きるということである。

 がん宣告という“死の宣告”がなければ、主人公は一生、書類の山の中で、なんのやる気もなく、惰性と無責任の人生を送っていた。

 「なぜ死を前にしないと、生きようとしないのか」「生きているようで、生きていない人間があまりに多い」と黒澤監督は思っていたらしい。

 この映画の最期の頃に、主人公が亡くなった葬儀の場での同僚たちの話の場面がある。きのう私がチャンネルを替えた場面。

 みんな揃って亡くなった主人公の人柄や業績を褒め、これからは我々もあの人のように責任を持って仕事をしていこうと誓い合う。

 翌日、新しい課長のもとで職員たちは依然と同じように、陳情のたらい回し、やっているふりだけの仕事をしているシーンでこの映画は終わる。

 結局黒澤監督は何を言いたかったのだろうか。よっぽど公務員が嫌いであったことはよく判る。

コメント

タイトルとURLをコピーしました