現代は古典に、そして侍ニッポン

つぶやき

 一柳慧さんが亡くなられた。89才だったそうだ。私が現代音楽を聴き始めたころ、武満徹、諸井誠、三善晃という方たちの名前と共に知った作曲家である。
 同時代の作曲家の作品をよく演奏していた。たしかピアノのうまい人だった。

 一柳さんが亡くなられて、あの当時の現代音楽の作曲家は一人もいなくなってしまった。あれから半世紀。現代音楽が古典と呼ばれるようになった。

 渡辺徹さんが敗血症で亡くなった。61才。早い死である。いろいろ病気を抱えていたらしい。役者の仕事は病気を口にしたらこなくなってしまうものだ、とよく言っていたらしい。

 大変な思いをして生きてきたのだろう。人相からして人柄のよさそうな人だったなと思う。

 弁護士ではなく司法書士の役を演じたことがある。「僕は司法書士だから閲覧請求ができるのだ」などと思わず笑ってしまうようなセリフがあった。

 司法書士などという仕事には何の面白みもないから、その後シリーズ化されることはなかったようだ。

 先日新聞に、芸人・ヒロシという人のことが載っていた。以前「ヒロシです」
 という自虐的なギャクで人気のあった人である。
 その人気絶頂期のときの月の収入が4,000万円あったという。なにかの間違いではないか。

 以前の仕事仲間とプロ野球選手の年俸について話をしたことがある。
 私が高すぎるではないかと言うと彼は、そんなことはない、いま日本中で彼ほどホームランを多く打つ選手はいないし、彼ほど早いボールを投げられるピッチャーはいない。
 誰にでもできることではないから、年俸が何億円であろうと払う価値がある、と言うのである。なるほどと私は彼の言葉に感心した。

 先日知人から手紙をいただいた。達筆というのはこのよう字のことを言うのだろう。この人は若い頃から習い事や資格取得マニアだったらしい。
 賞状書士、測量士補、宅建、簿記3級、カラオケ、ほかにもいろいろあるそうだが、真面目で熱心な人だから何事にも上達したようだ。
 カラオケもプロ並みに上手であった。ただその人が言うには、食べていけるような資格はとれなかったそうだ。

 公務員と関わり合うことの不愉快さは百も承知のことであるが、先日行った運転免許高齢者講習の会場とその対応があまりにひどいことから、埼玉県の公安委員会に苦情を申入れた。

 こちらはただ、あのような教習所に講習を委託するのはいかがなものか、と言うつもりしかないのだが、電話を受けた女性職員は全くこちらの話す内容を聞き入れず、まともな教習所だと言い張る。異常なほどである。その件の苦情が殺到していたのであろうか。

 9日に5回目のワクチン接種がある。打ちたくなければ打たなければいいだけのことだが、コロナの状況がよく分からない。
 先日40代の女性が接種後亡くなられている。ご主人が市役所に経緯の説明を求めているが、市役所は、マニュアル通りに行っただけのことで当方にはなんの責任もない、というばかり。

 人が死んでいるのに、型通りにしただけだ、ということだが、型通りにして何故死ななければならなかったのかが問われているのに、それに応える習慣が公務員にはない。

 何の責任も負わないという職業には緊張感も責任感もない。そんな仕事では人間としてやりがいも達成感もないだろうと思うが、やりがいとか達成感などに関心がないから公務員になる、という人が公務員であることに気がついた。

 確か星新一氏のショートストーリーだったと思うが、社会に出られては一般市民にとって迷惑になるような人を、市民がお金を出し合って(つまり税金)役所の中から社会に出ないようにしたのが公務員制度である、という話がある。

 侍ジャパンは野球であった。サッカーは侍ブルーと言うらしい。
 サムライニッポンという古い流行歌がある。こういう歌詞で始まる。「人を斬るのが侍ならば、恋の未練がなぜ斬れぬ………」無茶苦茶な歌詞である。

 別の稿でも書いたことだが、日本のチームにサムライという言い方はやめた方がいいと思うのだが、どこからも批判はないようだ。サムライに何を託しているのだろうか。強いのか、腹切りするのか。

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