収入がないというのによく物が壊れる。テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、電子レンジ。全部でいくらになるというのか、ということもあるが、あと何年生きるのか、ということもある。
家内が、「大地震で小学校の体育館に避難しても寒くてしょうがない」と言う話を聞いてきて、大きなホカロンを買ってきた。先日の防災訓練に参加した人から聞いたことらしい。
地震にホカロン。無駄な買い物とは思わないが、この人は本当に楽天家だと思う。
でもこの人は、自分の命の危機をやぶ医者に言われても、じっと一人で耐えた。こういう人を本当の楽天家と言うのだと思う。
防災訓練は以前は9月1日にやっていたが、このところの暑さで季節のいい時に行うことにしたらしい。今年は11月30日であったが私たちは参加しなかった。お役所さんは行楽と間違えているのではないだろうか。
政府による首都直下地震の被害想定が近く見直されるらしい。最悪の場合は1万8000人が死亡し、経済被害は83兆円とする内容になる見通しという。
2015年の想定と比較すると死者は5000人減り、経済被害も12兆円減っているが、2015年に掲げた「10年間で死者数半減」という目標には達しない見通しで、今後の対策につなげる方針、ということのようだ。
東日本大震災の死者は2万人に近い。人口1000万人を超え、近隣の郊外都市の被害も含めてそんな数字で納まるのか。経済被害83兆円と聞いてもピンとこない。
真冬に大地震が起きて何も持たずに家を飛び出すことになる。家が倒壊しなければなんとか衣類などの防寒具を持ち出せるが、そうでなければどうしようもない。
避難場所という小学校の体育館などというところに暖房施設などあるはずがない。神戸大震災は1月17日。暖房施設がないのはもちろんだが、コンセントがなかったらしい。
「冬の寒空に放り出される」。怖い言葉である。
「来るか来ないかはっきりしてもいないものに、そんな心配を口にするものではない」。「来るか来ないかはっきりしない」から心配になるのである。
近頃見かけないことから気にしていた人は亡くなっていたが、末期の肺がんであったらしい。それに認知症も発症していたようだ。
いつも自宅マンションの駐車場や道路の端にいて、私の車が通る時は振り返って見ていたが、徘徊だったのかもしれない。
毎日のように見かけていれば声のひとつもかけたくなるが、若い時以上に人間歳をとると何を考えているか判らない。何も考えずただ歩いているだけという人もいるのだ。やたらと人に声をかけてはいけないと思った。
以前は稼ぐために歩いていた。今は歩数を稼ぐために歩いている。金が出ていくばかりとなる。


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