点検と接点

つぶやき

 自民党は、旧統一教会と括弧書きされる宗教団体と関係を有するか否かについて所属国会議員にアンケートによる調査を行い、その結果を公表した。

 通常なら数にものを言わせ、どんな疑惑であろうとも無視する自民党が、右往左往の騒ぎである。どんな宗教団体と関係があったとしても責任を問われるような事態にはならない、というのが自民党の認識である。

 しかし今回は違った。安倍元首相殺害の原因になったとされているからである。世論の関心は、殺人を犯した犯人に対するよりも、安倍元首相の政治背景に向けられている。

 しかしあの統一教会の糾弾キャンペーンは何か結果を残したのであろうか。なにかのブームが去るように社会もマスコミも忘れた。私も忘れていた。しかし糾弾を続けている弁護士がいた。静かで数少ない言葉には説得力と重みがある。長い活動の苦難がそうさせるのか、顔の表情に演技はない。

 宗教は権力から自由であるべきだと言いながら、自ら権力に近づこうとする体質がある。本能と言ってもいいのかもしれない。

 こんなことを書くのがこの稿の目的ではなかった。自民党の調査なるもののバカらしさである。公表したのは、点検した結果としての議員の人数とその一部の氏名である。調査ではなく点検なのである。調査するほどの重大な問題ではない、ということの強調なのであろう。旧統一教会との関わりも「関係」ではなく「何らかの接点」である。

 関係には意志が存在するが、接点にはそれがない。すれ違っただけである、と言いたいのであろうか。議員の数は179名。国会議員の半数に近いという。自民党としての関りはないとしているが、役職者まで接点があり、これほどの人数が明らかになってそう言えるのであろうか。

 安倍元首相の国葬は強行されるであろう。しかし宗教団体との関係が祖父の代から続いているという事実が明らかにされた中で、安倍元首相の葬儀を国葬で行うことについて説明できるはずはない。岸田総理、なにかかけ間違いをしたのだろう。キジも鳴かずば、であったが、周囲が騒いでしまった。

 今回の自民党の調査なるものによって気がついたわけではないが、それにしても国会議員の数が多い。こんなに議員は必要なのであろうか。政党政治の理屈からからして議員は数としての意味しかない。その数に対する報酬は高すぎる。

 議員が就職先になっている。世襲議員が多いのはどういうことなのか。
 優秀な議員も多いはずだ。しかし当選してこその議員。選挙に関する誘惑には勝てないのであろう。私の町の小さな秋祭りにも議員さんは顔を見せる。

 議員たちの言い訳めいた話は聞きたくもない。国の指導者の一員として、さすがだな、と思わせる話を聞きたい。

 人の顔をよくするも悪くするも立ち位置である。三枚目と言われる役者が人間味あふれる役を演じるととてつもなくいい顔に見える。いい顔に見える役柄に身を置くことが人生において大切である、と自分の顔を鏡で見ながら思う。(了)

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